住職の日記

大自然東京

大自然東京

こんばんは。

今日は、寒さぶり返す日となりました。

さてさて、私は用事があり東京に行ってまいりました。

東京には何回も行ったことはありますが

必ずと言っていいほど、毎回人の多さに驚かされます。

皆さん、それぞれの目的地に脇目もふらず颯爽と歩んでいかれます。

駅の行き方がわからない田舎者の私は、その人混みに飲まれそう

と言うより飲まれ隅の方に追いやられます。

そこで感じたのは、ここでは「曖昧」「半端」はイコール「死」を意味するんだなぁと思いました。

自分の今日そして今「すべきこと」を、黙々とこなして「考える」よりも行動をまず起こし、

歩みながら考えないないと置いて行かれるでんしょう。

実際、目的地はわかってるのに、その道順を下調べしてない

「行けば何とかなる」「誰かに聞けばいい」と思っていた

自分の「甘さ」を痛感しました。

「君は何者?」「何が出来るの?」「どんな店?」

東京ではこの個性の提示をまずしなければなりません。

ただ、個性を出せば当然嫌う人もいます。

しかし、ここでは嫌われなければ、選ばれません。

東京は自然がないと言いますが、確かに緑は少ないですが、この姿こそ自然なのです。

森に入ると、木々が互いに影響しながらも混ざりながら、それぞれの命(方便)を燃やし

それぞれが生きているのです。

東京のど真ん中に、その姿がそのままありました。

我々と木々と切り分けて考えてしまいがちですが、我々人間もも自然の一部で、

木々だけが自然ではないのだと、東京に来ると再確認できるのです。

正に道場。

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