住職の日記

不可分だ

不可分だ

今日も昨日と同じように天気が良く清々しい風が通り、まるで5月のような陽気です。

梅雨はもう明けたのか?

こうした広い空を眺めると、心が落ち着きます。

我々は心の安心を得るためには、この空のように広い心を持たなければなりません。

その為には自己執着を離れ、狭い世界から解き放たなければなりません。

その執着を離れる為に必要なのが智慧ということになるのでしょう。

その世界から解き放たれたら、他を慈しむ心が養うのです。

智慧と慈悲は別々では無いのです。

話は変わりますが我々が今置かれている環境はグローバルになっています。

どんどん世界はフラットになっていき、人工頭脳搭載された機械が発明され

これから資本主義世界は正に仕事の争奪戦が始まるに思います。

物は溢れ、情報は溢れ、賃金は安くなっていき、そんな渦の真っ只中なのです。

そんな中で我々一個人が生き延びていく為に大切なのが個性なのです。

個性(好きなこと)を発信することによって、機械では出来ない人との繋がりを持つことが出来るのです。

ただ、個性を出すというと、自分のスタイルに固執しだして、それだけで良いんだと勘違いする人が多くなる事も

しばしばです。

いくらグローバルになっても、今までのような小さいコミニュティが無くなったりするわけではないので

広い世界(特にネットの世界)と小さい世界(コミニュティ)の生き方が一緒では穏やかではありません。

個性を出すということは、広い海の様な世界、例えばネットとか大陸や大都市では大切で

個性を全面に出すことが調和に繋がるのです。

逆に個性を出さないと、箸にも棒にも引っかからない、いわば「死」を意味するのです。

しかし、この世界に慣れてしまうと、確固たる自分という存在が出来上がってしまうのです。

そうなったら、コミニュティでの調和が上手く取れなくなってしまい、ついには広い世界でも

他の存在と衝突して、白黒つけてやると、どちらかが無くなるまで小競り合いを起こしだすのです。

好きなことだけ、やりたいことだけ、は小さい世界や複数人関わってくる際には、必ずしも通らないのです。

例えば町づくりでも、そこに住んでいる人がそれぞれ好き勝手にやりたいことをやったら

それはそれは個性的な人はたくさん集まりけど、町の個性はどんどん無くなっていきます。

組織や国や町の個性は一個人で作れるはずもなく、伝統や新しい物を取り入れたりして

皆で作り上げていくものです。それが「文化」なのです。

お釈迦様も集団(サンガ)を作る際に、「規律」を重んじました。

これがないと統治が出来ないし、集団になりません。

つまり、集まる意味が無くなるということなのです。

そこで、今の日本はどうでしょう?どこいっても一緒ではありませんか。

人ばかり個性的(好きなことばっかり)になっても、国は繁栄には繋がっていないのです。

広い世界の一支店になるだけなのです。

グローバル化って言うことはそういうことなのです。

よって我々もそうですが、集団やコミニュティも解脱をしなければなりません。

皆さんもご存知の黒川温泉。

街全体で自然を増やしたり、昔ながらの和風建築を立てて、街全体で協力して

町づくりをしています。

そして、温泉手形というのを作って、どこの宿に止まっても、他の旅館の温泉にも入れる様に

温泉街全体が栄えるように協力し合ったのです。

今や人気の温泉街になっています。

もちろん、看板も落ち着いたものでなければなりませんし、建物も勝手に建て替えることも

出来ないなど条例は厳しいかもしれません。

しかし、「自由」は組織やコミニュティの個性を失う事でもあるのです。

もし、ディスニーランドにもグローバル化によって規制が緩和しだし中に、

牛丼屋とか中華料理の店が出店したらどうでしょう?

ディスニー行きますか?

今、個性を出すことが求めれていますが、同時に調和も大切になるのです。

広い世界では個性を出すことが調和で、その反対に小さい世界ではまず調和が重んじられるのです。

そして、広い世界も、小さいコミニュティでも、それぞれの場面で自分の出来ること(個性)が必要になるのです。

個性と調和は不可分なのです。

その為には何と言っても、智慧を身に着けなければ、真の個性にたどり着くことなく

他を慈しむ事なく調和できなくなってしまうのです。

妙にけばけばしい極楽鳥になって空を飛び続けるだけなのです。

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