住職の日記

脱自由?

脱自由?

玄関の上のつばめ専用の出入り口。

これによって24時間出入り可能です。

つばめも気に入ってくれているようで、嬉しいです。

さて、我々は「便利」「自由」と言うものに幸福があるのだと思い

「もっともっと」と利便性や自由を求めていきますが、ここ数日申してますように

智慧がなければ、貪り続けるだけで、心の安心は得られないのです。

今は本当に自由です、そして便利です、が故に抱える悩みも多くなっているのも事実です。

もし、自由、利便に真の幸福があると心の底から思っているのであれば

深い闇をさまよう事になるのです。

従って、敢えて不便な事、窮屈な事、面倒な事に身を投じて見ることです。

例えば、今情報があちこち飛び交っていますし、24時間どこでも情報が取得できるとなれば

もう体は情報漬けになっている状態で、電車でも、家でも、そして寝る時まで、非常に

心体が毒されているに思います。

こうした情報に毒された体を癒やすには、デトックスが当然必要になるのですが

と言っても今の時代ネットは手放す事は中々出来ず、そして日々の生活があるので

中々長い時間は出来ないかもしれませんが、一日に一分仏壇に祈るとか

テレビも電気もつけず、完全な真っ暗闇を作り、その暗闇に身を置くなど

圏外(不便な世界)に少しの時間身を置くことも大切ですね。

暗闇って怖いですよね?

しかし、闇を遠ざけ明るい世界ばかり求めて生きていくことは、実は暗い世界を彷徨っている

状態になっているのです。

闇(死)がなければ光(生)がない様に、光も闇も区別できない状態で、何が正しく眼に映るのでしょう。

自由という名のもとに、自分の好き勝手に生きるという事は

何かを失っていると、同じなのです。

個性を出すことは大事と言いますが、個性を出せばそれをよく思わない人もいると言うリスクもあるので

他人にストレスを与え、そして、まともであれば自身にもかかるのです。

従って、先ほど申しましたように、自由の名の下に苦しんでいる人も多いのです。

だからこそ、不便な事、面倒くさい事など「脱自由」も必要になるのです。

個人としては仏法に帰依をし、自らを戒め、智慧を身につける。

組織や、町においてはの 規律や条例を設け、その集団で一つの方向性を作る。

そうすると、個人としても集団としてより正しい個性が際立ちます。

そして、これからグローバル化によって世界はフラットになっていきます。

そうなると、世界中の人々が行き交う、大移動が起きると思います。

そこで、個性が高まった町や組織や、個人は、世界中の人から支持されるのです。

これから来るグローバル化社会で生き残りをかけるなら、個人でも組織でも智慧を灯火にして

敢えて暗闇を進んでいくことです。

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