住職の日記

魂が触れ合っている

魂が触れ合っている

朝霜が降りてます。

寒中ですからね。

さて、ファイスブックやこのブログなどのソーシャルネットワークと呼ばれるものは、本当に不思議な感覚にさせてくれます。

遠く離れていて、たまにしか会わないのに、こういったソーシャルネットワークを使っている人の方が、変な話よく顔を合わせている人よりも親しくなっている気がするんです。

例えば東京にいる友人のフェイスブックを見ていると、「表参道を歩きました」とか、「浅草にお参りに来ました」など、日常の行動をアップしています。

そうすると、その友人と久々に会うと「この間あそこの場所どうだった?」など久々の再開のはずだったのに、この間あったばっかりの感覚になるのです。

こうしてインターネットを介して我々は魂の触れ合いをしているのです。

あくまでデジタルはデジタルで、会う事(アナログ)こそが真実だという事を思う人もおられると思いますが、果たしてそうなんでしょうか?

その論理に一つ疑問が湧いてくるのは、この世は仏さんの世界です。

ですから、それぞれが平等に尊いという事です。

ですので、これが悪く、これが正しいという決めつけはおかしいという事です。

パソコンで打った言葉も、直筆で書いた文字も、ブログもファイスブックもそれぞれ、自分の心が表現されているのです。

つまり自分の行動の全てに魂が宿っているのです。

つまりこうしたインターネットを介して、それぞれに自分の心を表現し、人と人の触れ合いを遠く離れていても感じることが出来るのです。

凄いことだと思いませんか?

そしてその時代を、正に今私たちは生きているのです。

もちろんインターネット原理主義ではありません。

ですが、無視しては通れない存在なのは間違いないのです。

これから時代は揺れ動いていきます。

益々文明は発展していきます。

前も申した通り、技術や物の価値というものはかなり薄らいでいきます。

では、何が残るのか?

結局人と人のつながりです。

当然といえば当然かもしれませんが、何か人に物事をお願いする際に、人は関係の深い方で選びます。

先程も申しましたが、毎日のように顔を合わせる人よりも、ソーシャルネットワークを通じて日々触れ合っている人の方が関係性が深まっているといえます。

仏の世界が自分が身を置いている世界とは、全然違う場所に存在していると思っていると、不具合が生じるように

インターネットもライブももはや垣根がないのです。

ネットはネット、ライブはライブはという考え方では、どこかで不具合が生じます。

私たちが身を置く世界はそういう世界です。

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