認識があるだけ
こんにちは。
今日もいい天気です。
こんな心地のいい日がいつまでも、続くといいなぁと、思う今日この頃ですが、これからだんだん寒くなる様です。
今日なんかも、温度差10度以上だそうです。
体調崩さない様にしましょう。
さて、仏教には空の思想があり、その思想の通り全ては実態はないのです。
では、何があるのか?
認識があるのだけです。
私は、智優という名前のついた人と認識してくださる人がいるから、存在しているのであって、私の事を誰も認識してくれなければ、存在はなくなってしまいます。
認識される事により、自分の存在が実感出来る。
相手あっての自分となります。
ですので、たまに排他的な人がいますが、この理屈から言えば、自分の存在を自らが消そうとしているとも言えます。
何度も言いますが、相手あっての自分です。
その相手を排除してしまえば、当然自分も排除してしまうのです。
この諸行無常の世で、そして物事に実態はなく認識しか無ければ、相手を受け入れなければ、幸せにはなれません。
その為にはこだわらず、受け入れる。
逆にこだわる人は置いてきぼりになるという事です。
豊かな生活をしたい方は、相手を認め受け入れましょう。
そうすると、相手も認識してくれます。
すっかり寂しくなりました。
幸せになりたい人は、こだわらない事です。
それはすでに仏様が、我々に教えてくださっています。
だって、仏様は我々に対して善悪見極めてなんかいないのですから。