目的を持つのはつまらない?
こんばんは。
今日もいい天気でした。
「気持ちのいい日だねぇ」と参拝者の方の顔が綻んでいました。
さて、私達の時間は限られています。
未来永劫、今が続くわけでなく、日々衰えています。
人が老いていくのは、逆らえない運命です。
本当に考えただけで、怖いです。
自己への執着が働くから、生老病死が苦しみになってしまいます。
まぁ、これも人間の心情です、当たり前とも言えます。
ですが、怯えているだけでは、時間が勿体無いの事実です。
そして、苦しみから、逃れる為には自己への執着を無くさなければならない。
これも事実です。
この、二つの問題を解消する為には何かを夢中に取り組むことです。
この何かに夢中に打ち込んでいる内は、自己への執着がなくなります。
そうすれば、漠然とした不安は払拭されると言ってもいいでしょう。
ですが、中々夢中になれる物が見つけらなれない!そんな声が聞こえてきそうですが
夢中になれない理由はいくつかあると思いますが、まず何かをやる時に、
純粋にやりたい!面白そう!という物がいいでしょう。
よく何かをやる際に「目的を持って」
とありますが、物事のとっかかりには、こういった理由が必要かもしれませんが、これだけでは、つまらなくなります。
よって続きません。
目的を持つと、一見良さそうですが、それまでの道のりが目的を果たす為の手段になってしまうからです。
こうすると、ただの作業になってしまいます。
目的までの道を、しょうがないから通る、こんな具合でしょう。
そして、目的を早く達成しようとし、楽しめず、嫌々やって、結果続かないのです。
これでは、夢中になれないのは当然です。
そうではなく、ただ単に「楽しむ」事が大切になるのです。
書道教室に通う方々が、ただ単にうまくなる為だけに行っているのでしょうか?
もちろん、上達する事が目的の内の一つであると思いますが、それだけでは絶対ないです。
例えば、字がうまくなりたいから、しょうがなく「手段」して通っている人と
書道を心から楽しむ人とでは、どちらが長く続けられてそして、上達するのでしょうか?
言うまでなく、楽しんでいる人です。
何事も楽しんでいる人には、かないません。
「手段」としている方は、練習している間も、将来上手くなっている自分への執着が働き、夢中になれていないです。
心から楽しむ人は、夢中になって、自己への執着がなくなり、それはそれは、上達する事は当然とも言えましょう。
ですから、何かを始める際に、目的を持つと、とてもつまらない物になるのです。
ですから、一見人から見たら、くだらない事、理解されない事でも、単純に自分が楽しい!と思える事で無ければ、続けれません。
それを、見つけれたら幸せと言えましょう。
「これやったら何が得られる?」
「どうなるの?」
こういう考えでは、人生つまらなくなります。
結局何を所有しても、生老病死の恐怖からは、逃れられません。
ですから、最後の最後まで自分の好きな事や面白いこと続けるが、幸せな生き方と言えましょう。
四季桜が咲いています。
冬もひっそりと咲き続けます。
物を持っても、生老病死へ恐怖は拭えません。
「物を持つ」から「どの様に生きる」かに移して行きましょう。
没頭するものは何でもいいです。
人から理解されない事でも楽しみ続ける事を極めてみましょう。