狭ければ智慧を出せ
夏野菜たち。
どれもこれも美味しいです。
夏野菜好きです。
大地の恵み。
我々は智慧が無い状態で生きていく事を「無智」と言い、無智によって「貪る」心が生まれ
そして、怒りが生じるのです。
その結果、争いごとや、不具合が生じて、自他共に不幸に巻き込んでいくのです。
貪りは際限がありませんので、何を与えても満足することもなく命ある限り永遠に貪り続けるのです。
それで、真の幸せの生活が遅れるはずがありません。
でも、我々は口々に幸せになりたいと言うのですが…。
仏教には「山僧活計茶三畝(さんそうがかっけい ちゃさんぽ)」という言葉があるのですが
お坊さんは小さな畑があれば生活できるということです。
僧侶は仏教を学んだ、つまり智慧を身につけた存在で、智慧が備わった人にかかれば
小さい畑でも智慧を駆使して、生活が出来ていけるということなのです。
大きい畑でなければ裕福な暮らしが出来ない、もっともっととと求めるのが無智の人の考えです。
そうして欲が深くなれば、言葉も行動も疎かになり、幸せはどんどん離れていきます。
仏教には「知足」という言葉があるのですが、今すでに我々は足りているのだよと知ることが大切になるのです。
では、如何に「足るを知る」事が出来るというのかと言うと「引き算」です。
叶えたい事、欲しい物、そのいずれかを引いてやる。
そうすれば、充足感が感じられ、「そんなにしなくても満たされるんだ」と人は足ることを知るのです。
それが言わば智慧です。
そして、「幸せ」という物があるのでなく、幸せを感じられる心こそが「幸せ」なのです。
それはつまり感謝ですね。さらにそれは懺悔の心です。
我々は多くの命の犠牲の上に立っていて、そしてたくさんの人に尽くされて今があるのです。
先祖に感謝するという事は、先祖のおかげで、自分の存在があるのです。
「個性が大事」は当然ですが、それだけに囚われると、確固たる自己の存在が出来上がり
自他共に苦しくなっていくのです。
今こうして、自分の命があるのも、豊かな国、平和な国で生活が出来るのも、様々な命が柱となって
支えられているから存在しているのです。
それを忘れ、個性が大事、好きなことをすることが大事と、自己愛に執着した存在が
貪り続け、人々の穏やかな世界を奪っていくのです。
日本は「和を以て貴しとなす」が日本人の精神の礎に思います。
争いをやめ、それぞれの存在を認めあい統治しようと、まとまったのが、「日本」なのです。
また、日本は狭い島国であります。
それぞれが智慧を身につけ、皆で智慧を振り絞り生き抜く集団(サンガ)でなければなりません。
それが日本の個性で文化であります。
これから、グローバル化に伴い世界はフラットになっていきます。
日本の「あるべき姿」を取り戻し、越冬の方法を出し合い、グローバルの波に飲み込まれるのではなく
乗っていきたいですね。