智慧がなければ…
桔梗が咲いていました。
可憐な花ですが生命力の強い花でもあります。
こうした花をはじめ様々な命が生まれるのは、仏様の慈しみの光のおかげであります。
慈しむとは命を育む力であります。
我々もそうした慈悲心を宿すことが大切なのですが、その為には「智慧」を身に着けなければありません。
智慧が無い状態を無智といい、貪り続け、やがて悲惨な状態になるのでしょう。
それは具体的にどんな状況か?今の日本見てみましょう。
明治維新後、アジアでもいち早く日本は経済発展を成し遂げ、日本は物質的に豊かになりました。
そして高度経済成長期で更に経済発展していき、世界有数の経済大国になったのです。
しかし、その成長にも限りが見え、徐々に下がっていきます。
そして、同時に後進国であった諸外国が経済発展を遂げて、徐々に日本に追いついてくる。
これが抜かれるかどうかはわかりませんが、昨日申しましたようにフラットになっていくことでしょう。
ただ、こうした資本主義の恩恵をただ受けてきた、我々は未だに「経済」「景気」とバブルとの様な世の中の
再来を求め、今も貪り続けているのです。
ですが、先ほど申しましたように、これ以上の経済成長は見込めず、その結果「怒り」「ストレス」「絶望」と
行き詰まってしまっているのです。
おまけに「経済大国日本」「日本は偉い」とおごり高ぶっている状態で、それはそれは大変ですね。
貪りの恐ろしいところは、青天井で限りがありません。
従って、永久に「過去の成功体験」という幻想をイライラしながら追い続け、それで命果てていくのです。
皆さんもお気づきだと思いますが、「智慧」がなければ何を与えられても、どうしたってこのように
幸せにはたどり着かないのです。
よって、智慧を身につけることがこの不透明な時代を生き抜くには大切になるのです。
また、智慧は知識とは違います。
智慧はありのままを捉えられて、真理を見極める力であります。
それを身につけることが、これからの時代最重要課題になっていくことでしょう。
そして、智慧は慈悲心であり、この2つは決して別々に存在しているわけではありません。
よく真言宗のお寺には金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅がかけられている事がありますが
金胎不二と申しまして、この2つは一見違うようですが、一緒だという意味です。
金剛界が仏の「智慧」を現していて、胎蔵界が仏の「慈悲」を現しているしているのです。
智慧を身につけることによって、互いに認め合う豊かな仏の世界が広がるということですね。
先程も昨日申しましたように、世界はフラットになっていき、いよいよ今のような資本主義の世界が
終焉を迎えることでしょう。
そうなったら、今も国同士の争いごとが起きていますが、それは更に揉めることでしょう。
力が拮抗している間の争いごとですから、それは凄まじいでしょうね。
無智の状態を放置しておけば、餓鬼のように何を得ても満足することなく貪り続け、奪い合い、
修羅のように争い続けるのです。
そして、その様は正に地獄絵図であります。
まぁ考え過ぎかもしれませんが、ただ「無智」の状態は非常に怖いのです。
その唯一の打出ルートは智慧を学び、世界を慈悲心に満ち溢れる世界にすることです。
それが世界の人類が最後に出す答えであって欲しいです。