住職の日記

感覚を養うためには

感覚を養うためには

こんばんは。

今日はものすごく寒いですね。

明日は名古屋の朝はマイナス4度だそうです。

立春は迎えても、体感的な春はまだまだ先みたいです。

さて、本堂に上がる階段がだいぶフワフワして、悪くなってきましたから、大工さんに言って直してもらいました。

大工さんの作業を見ていると凄いなぁと思うのは、寸法を測るのにメジャーを使いません。

二尺くらいの物差しでささっとみて、寸法を測ります。

でも、これで大丈夫なんだろうか?と少し心配していましたが、できたもの見たら長さも本当にきっちりとしていて、大変素晴らしい出来なのです。

職人さんて本当にすごいなぁと大変感心させられました。

話は変わりますが、陸上競技の短距離のスプリンターの方は百分の一秒の差でもわかるそうです。

良くどっちが勝ったか分からないくらいの差でもえらく喜んでる選手いますよね?

私たちはビデオ判定のスローモーションでしか、その差を見極めれませんが、スプリンターの方にはそのわずかな差でもわかるそうです。

剣の達人が、刀の切先を頬すれすれでも動じずかわせるように、その道を極めた達人になると、

わざわざメジャーで何㎝と測ったり、ビデオ判定などしなくてもその僅かな差でも瞬時に見極めれるのです。

今は地図がなくても、スマホがあればその場所にすぐにたどり着けます。

これは素晴らしい事なんですが、人間自身の感覚は養っていないのではないのかなと思います。

掌に乗るスマホを見ながらでは周りの風景が頭に残らず、「もう一回行け、しかもスマホなしだ」と言われたら間違いなくたどり着けないでしょう。

スマホを否定しているのではなく、あまりにもその素晴らしい機械に頼りすぎると、自身の感覚が養えないという事です。

便利な道具はあくまでも補足的な役割で、あくまでも人間自身が中心でなければ、その素晴らしい道具の効果も最大限に発揮できないのではないかなと思います。

迷わず目的地に行けるのは素晴らしい事なんですが、旅の寄り道も一見無駄なようで、実は人生の旅においては非常に大切ではないのかなと思います。

我々は旅人なのです。

目的地に行くことが目的ではなく、旅することが目的なのです。

道に咲く花も、青い空も、個性的な建物も、おもしろい人々も見ずに、急いで目的地に行って、その人は一体何を得たのでしょう?

目的地に早くたどり着く事を目的とするなら、このように、すごいつまらないことになります。
(仕事で時間を守らないといけない時は別です)

感覚を養うためには、道その物を楽しむ事です。

道端につくしが生えていました。

掌に乗る携帯だけを見つめて歩いている人には、絶対このつくしの存在は気付かないでしょう。

今晩はかなり冷えるそうなのでお体大切にしてください。

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