微生物がいっぱいの土壌(世界)へ
燕がそろそろ巣立つ頃です。
南の世界へ帰っていきます。
地蔵寺の周りにはまだ田が広がっているからつばめも来るのですね。
やはり「田」は生命の源でありますね。
さて、日本は水が豊かで、様々な作物が育つ健康な土壌があります。
そして、その土壌には健康な微生物が無数に存在しているのです。
逆に多様性を失った土壌は作物不良になり作物が育ちません。
それは、何も畑の土だけでありません、何にでも当てはまります。
例えば国や組織なんてそうですね。
排他的な思想を持つ国や組織は栄えるはずありません。
そうなると、どうなるのか?土地を広げようとしたり、侵略しだすのです。
自分のところで取れる利益が減れば、裾野を広げせざるを得ません。
しかし、これはどこまでという際限はありませんので、永遠に貪り続けるのです。
そうすれば、そうした者同士どこかでぶつかり合いますから、争いが起きるのです。
先日もお話させて頂きましたが仏教には「山僧活計茶三畝(さんそうがかっけい ちゃさんぽ)」
という言葉が有り、智慧のあるものは小さい畑でも生活が出来るという意味であるのです。
従って、我々が穏やかに暮らしたいのなら、仏智を宿さなければなりません。
ではまず、仏様は我々に何をされているのか?それは「命を育む光(慈光)」を照らされているのです。
それによって、我々に備わっている種が発芽し、生きる力が与えられているのです。
そこに、分別はありません、誰もが生かされているのです。
どんな命でもです。
つまり、仏の光のもとでは健康な土壌のみたいに微生物がいっぱいなのです。
しかし、こうした無数の微生物が存在する土壌からは豊かな作物が取れるように
そうした、互いに供養しあう世界からは豊かな思想、物、産業が育まれるのです。
つまり、本当の土壌もそうですが、我々人間の土壌を健康な物にすることが大切なのです。
それによって国が広がったり、大きくはなりませんが、豊かで穏やかな生活が約束されるのです。
特に日本のように土地そのものが狭い島国では、この智慧がなければ穏やかに生活することは困難であります。
聖徳太子が日本国に仏教を取り入れた理由は何と言っても「平和」のためであったと言えます。
互いに供養しあう、相互供養で、相手に何かを押し付けたり、否定したり、相手に変化を求めずに
「ありのまま」で統治をし正に「和を以て貴しとなす」であります。
しかし、ある意味国教であった仏教が明治維新後に剥がされてしまい、今は日本はかろうじて智慧の灯火が
揺らめいているだけで、限りなく暗黒に近い無明の状態に思います。
価値観が偏ったりして、慈光が全てに行き届かず、もがき苦しんでいるそんな状態であります。
そんな中、「○億円を稼ぐ方法」「売上アップマル秘方法」などといった、「パンとワイン」が
流行るのでしょうが、しかし、それで本当の充足感豊かさは手に入れることは困難であると思います。
もっともっと根っこの部分が豊かでないと、真の豊かさは手に入らないのです。
ローマ帝国のローマはラテン語で「統治権」を意味していてコンセプトは
「多民族・多人種・多宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家」であり
多様性があったので栄えていったのです。
しかし、なぜ衰退したかというと、衰退した理由の一つにキリスト教が浸透していって、ローマの国教が
キリスト教になってそれまで存在していた土着的な宗教を排除しだして、多様性が失わたからだと
言われています。
つまり、排他的な思想で土壌が痩せていったということですね。
そして、今ギリシャがEUを抜けるとニュースで盛んになっていますが
穏やかではありませんね。
そして、世界のリーダーのアメリカがこの問題を収めに行っているらしいですが
グローバル化が進み大国がこれからも生まれてくるので
アメリカの威光もいつまでも続くとも思えませんし、これは益々混乱をもたらすでしょう。
そんな中、日本はと言うより「我々」はどのようにその状況を対応するのでしょうか?
取り敢えず、本当の土壌を整備をして作物を確保は必須ですね。
そして、心の土壌を微生物がいっぱいの健康なものにする。
正にサバイバルです。
サバイバルと言うか基本に帰っていくのですかね。
ギリシャが破綻した理由の一因にアテネ五輪の財政圧迫が揚げられています。
日本は5年後オリンピック。
つばめは帰る。
我々も基本に帰る。
その前に命の古里に還り、避難しておこう。