住職の日記

真理は中間にある

真理は中間にある

菩提樹の実が付き出しました。

菩提樹の実は神聖なものとされ、数珠にも使われます。

菩提樹はゴーダマ・ブッダ(お釈迦様)の別名「ボーディー」から来ていて

菩提樹はボーディーの木つまりお釈迦様の木という意味を持ちます。

そうしたことから5世紀に仏教が弾圧された際に、仏教者が大切にしていた木であるので

多くの木が伐採されたと言われております。

仏教はこうして追われるように日本へ伝わったとも言えますね。

しかし、どうしてこうした教えが弾圧されるに至ったか?そんな事を思うのです。

その当時インドではヒンドゥー教が台頭していって、基層信仰を獲得していったのです。

宗教ではこの「基層信仰」というものは非常に大事で、一言で言えば大衆性であります。

これが教団の下支えになるのです。

以前買った田中角栄さんの本の中の言葉に「世の中は、白と黒ばかりでは無い。敵と味方ばかりでもない。

その真ん中にグレーゾーン(中間地帯)があり、これが一番広い。真理は常に中間にある」とありました。

白と黒つまりその事について、好きとか嫌いと極端な域にいない人が大半であるということです。

だから、仏教の教えで「偏らない事が大切だ」と言っているのです。

で、どうしてインドで仏教が衰退したかというと、仏教は一部の王や商人など所謂富裕層に支持をされていました。

しかし、国の情勢が悪くなり、そうした支持者がいなくなってしまって教団が保てなくなっていました。

そうこうしている間にヒンドゥー教が呪術を持って人々の悩みや願いなどの現世利益に答え

着々と支持を得て勢力をまして行きました。

仏教もそうした、バラモン教の祭礼やヒンドゥー教の神々を仏教に取り入れ民衆の支持を得るべく

仏教を進化させて密教という教え打ち出しましたが、時すでに遅しで、民衆の信仰は獲得できず

衰退、そして弾圧される運びとなったのです。

また、仏教は教団が存在していたのも山の中と人里から少し離れていた場所にあったそうで

一般の方々が仏教に携わる機会というのが少なかったのかもしれませんね。

また、当時の仏教は呪術的な事は禁ぜられていたので、民衆の例えば今で言う厄除けや安産祈願など

そうした祈祷も禁じられていたので、益々携わる機会が減っていってしまいますね。

そうなるとコアな仏教者か生活に余裕のある富豪が集まっていくのです。

ここで「世の中の真理は中間にあり」という言葉の通り基層信仰はヒンドゥー教に取られてしまったのです。

弾圧といえば仏教は日本でも明治の神仏分離令の際に弾圧を受けました。

国策としてですが、幕府の庇護(寺受け制度檀家制度)よって寺が信徒の獲得の為の布教に力を注がなくても

運営が出来るために、怠慢になったという事が要因になっているそうです。

インド・そして日本での仏教弾圧に共通しているのは、一部の支持者によって支えられて「慢心」を生んでいる

ところに、国の情勢が変わり、ヒンドゥー教や国家神道の他の宗教に押し出されるという事です。

「慢心」は仏教がある意味一番忌み嫌う部分ですが、どうしてもそうしたことは起きるんですね。

話変わりますが、例えば、寿司と言うと昔は「高級」というイメージが有りましたが「回転寿司」によって我々は

「寿司」に対して大変親しみを持つようになりました。

では、回転寿司ではない寿司屋さんすべてが衰退しているかというとそうではありません。

回転寿司の寿司もいいけど、たまには、こうしたものも食べたいなと思う人もいるし

回転寿司だけでいいという人もいますし、逆に自分は回転寿司は行かないというコアな方もおられます。

寿司業界全体の基層はこの回転寿司によって強くなり、業界全体はどんどん発展しているのでは

ないでしょうか?

日本は「食の都」と言われますが、そうした基層がどんどん広がっていくので、それぞれが工夫をして

素晴らしい料理が生まれていくのですね。

逆に裾野が広がっていないものは、発展はしていかないのが実情ですね。

そして、それは仏教が辿った歴史を参考にすると、、、そうした状況は覚悟しておいてもいいでしょう。

また、話が変わりますが、あるサイトを見ていてなるほどなぁと思ったのですが

優秀な営業マンは、そうでない営業マンとどう違うか?という内容なのですが

優秀な営業マンは仕事時間の殆どを「人と会うこと」に費やしているそうです。

考えてみれば仕事のほどんどは人と人の繋がりの中に生まれているので、人との接点が多ければ

それだけ発生する仕事も多いですよね?

ということはそれだけ世の中に貢献できているので、優秀ですよね。

優秀かどうかは自分で決めるのではなく、周りが判断するのです。

仏教は何の為に存在しているのか?

確かに自身が悟りの道を求める自利行も大切です。

しかし、基本中の基本他人の利益に貢献する、利他行が大切になるのです。

確かに、僧侶が座禅や瞑想などしている姿は人々に安心を与えます。

ただ、厄除け祈願をしなければ困っちゃう人も多いですよね?

家族が亡くなった時にもお経の一つもあげてもらえらなぁと思いますよね?

それに応えることが大切で基本になるのです。

もちろんそれだけでは形骸化を招いてしまうので自利行で心の洗濯をして己を高めていく事が大切なのですが。

自分のやりたいことと、いま現状周りの為にすべきことは違う事が殆どなのです。

正に「世の中の真理は中間にあり」であります。

「自分の」ではなく「世の中の」がポイントですね。

その為には、偏らず広い心で世の中を見渡し、出来る限り寄り添っていきましょう。

そうすればしっかりした基層がどんどん広がっていき、発展に繋がるのですね。

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