個性がいらない?
桜舞ってました。
美しいですが、寂しくもあります。
携帯のカメラではこれくらいが限界ですが
実際はとても美しいです。
さて、今昔に比べて個性的になれと言われる事が多くなったのですが
本当にそうだと思います。
しかし、それはよくよく周りを見渡せしてから決断すべきだと思うのです。
例えば、人口が物凄く少ない場所で、周りにお店がない場所で喫茶店を行う場合は
なるべく多くの方々に対応できるように、こだわらずいろんなメニューを取り揃えたほうがいいでしょう。
何なら、「何が食べたい?」と聞いて、その通り動いたほうが繁盛しますでしょうし。
そこに、自分の好みというものはあまり必要ありません。
そこで、「俺のこだわりを味わえ」と押し付けられたら、合えばいいですが
合わなかったら、もう行けません。
個性を出すと影も当然落とすことになるのです。
しかし、人口が多く周りに同じような沢山お店がある場合は、その品揃えが仇となる可能性はあります。
従って、個性を全面に出すことが必要となるのです。
みなさんも経験があると思いますが、駅前の町なんか行くと、看板に「〇〇が美味しいです。」とか
何なら「オムライス・〇〇屋」と商品名が店名と同じくらいのバランスで入っている事もあります。
それぐらい持っている個性を出さないと、めまぐるしく人が行き交うところでは目にとまわないのです。
片方では個性を出し専門的にならなければならない、片方では個性をなくして多様化しなければならない
というねじれが生じています。
個性を出すことが大切だと確かに思いますが、今自分がどういった場所や状況なのか?と
自分自身を俯瞰的に見ることが出来る、余裕は必要ですね。
自分の好きなことをすることが大切ですが、自分の好きなことだけをしていればいいということではないので
何をしようと常に相手や周りの事は見て置かなければ、なりません。
我々の真実は方便です。
その方便(魂)が輝く為には、どんな時も喜ぶ相手が必要です。
「自分が何したいか?」と決め次に「それは誰が嬉しいのか」と繋がらなければ
その行いは成り立ちません。
どんな状況でも謙虚さを忘れない様にしたいですね。