住職の日記

無条件に認めてくれる

無条件に認めてくれる

今日は寒の戻りで、とても寒かったので

散った桜の花びらが積雪の様です。

さて、我々人間には感情があり、好き嫌いがあります。

それは仕方ないことで、嫌いなもの好きになれと言われても中々難しいわけですが

時には、意見の違いから言い争いなどをするわけですが

そんな、言い争いをして疲弊した心を癒やしてくれるのが、家族です。

「オレのことわかってないんだよな」と愚痴をこぼすと「ウンウン」とうなずいてくれる

家族が疲弊した心を癒やしてくれるのです。

しかし、その家族も「は?そりゃあんたがわがままだ」とか話を誰も聞いてくれなければ

その人を認めてくれる人がいなくなってしまい、行き場所がなくなってしまうのです。

ですが、誰もが無条件に迎えてくれる場所があります、それが仏の世界です。

仏さんは、善いとか悪いとか、別け隔てしないお方なので、訳など聞かずに

我々を迎えて下さるのです。

ですが、仏様は大変尊いお方なので、そんな偉いお方が我々の事を迎え入れてくれるはずない

と思い込んでいる人が多いと思うのですが

仏様が我々の最終的なセーフティネットなのです。

仏様は偉い方なのですが一般的なふんぞり返っているお偉いさんではなく、

この世の底で一番身を粉にして利他行を志しているお方なのです。

あまりにも献身的過ぎて目に映らないかもしれませんが、確実にこの世界に

身を細かく細かく砕いて遍満しているのです。

従って、どこにいても、何時であろうとも、困ったらすぐにそばに寄り添ってくれて

挫けそうになった我々を支えてくれるのです。

その為には、こちらも一心に祈りを捧げることが大切になるのです。

そうすれば、一瞬でも自分への執着が離れることが出来、それはつまり自分でも

誰でもない、その境地に達することが出来るのです。

そうすれば、「少し熱くなってた」「相手も大変だったんだろう」と冷静さを取り戻せ

そして、自分を含め全ては一体なんだと、ほんの少しその境地に達すれば

感じることが出来、どこか温かい気持ちになるのです。

人ははぐれたり、認めれないと、孤独や疎外感から恐怖や苦しみが生まれ、その妄執にかられ

とんでもない事件を起こすのです。

無縁社会と言いますが、その反面心の何処かでは認めて欲しい、役に立っていたい、人と関わったい

と人はそういった思いがあるのです。

ですが、何度も申してますように、すでに我々は仏様に認められているのです。

その事を忘れないようにしましょう。

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