住職の日記

ハイブリッド走行

ハイブリッド走行

昨日日柄が良いので兜出しました。

もうそんな時期なんですねぇ。

さて、こうして桜が散りだし気づけば今年も4月です。

「年取ると一年が早くなるよ」よ言われていましたが、ここ数年更に感じるようになりました。

散りゆく桜の花を見ていると、我々はこの世界に生じた一瞬の煌めきの様なものなんだなぁと

悲しさ、虚しさを感じ、それと同時にだったらどうするの?と活力も湧いてくるのも事実です。

色々問題や弊害があるのは当然なのですが、だからと言って「留まる」選択は無いのだと思います。

留まればどんなに清らかな水も濁りだすように、我々の本来備わっている清い心が奪われていくのです。

そうなれば、迷いの渦に巻き込まれていき、その苦しみがなくなることは無いのです。

迷いの世界での行いは、益々自身を苦しめるものばかりで、自分だけでなく周りや末末までも

そのスパイラルに巻き込んで行くのです。

では、そうした底なし沼のような状態から抜け出すための方法はと言うと、菩提心(求道心)

を宿すことです。

そうすれば、菩提心が心の垢が焼き尽くしてくれて、清淨な心が保たれ迷いの渦から脱却出来るのです。

その炎(菩提心)の起こし方は、慈悲心と煩悩とを結わすことです。

慈悲とは世の中の呻くすべての人々に対して救いたい、または役立ちたいという事です。

そこに見返りはありません。

従って、相手がどうであろうと、結果がどうであろうとその行動そのものが目的なのです。

「誰だから動く」「もらえるから動く」と言うのは、自分の好き嫌いや見返りで判断しているので

慈悲の境地ではありません。

しかし、どんなに善い行いでも、好きでなければ続けれないのも事実です。

従って、誰かが好きで動く事ではなく、見返りがあるから動くではなく

その行動が好きだから動くと、「好き」というある意味「欲」を行動行為に結わせる事が大切です。

我々の真実は方便でありますから、方便第一になれば、本来の姿に戻ることが出来る

つまり、仏の世界に今生で還ることが出来るのです。

ただ、現実的には、我々は資本主義の世界にいるので、自分のしたいことだけでは

殆どの方は生き抜くことが難しいという問題はついて回ります。

自分の意思にかかわらず、世の中の不満、不安を解消すべく、行動していかなければなりません。

と言うか、殆どはこちらがベースになると思いますが。

しかし、それだけでは、心体に疲労がたまり、病んでいくのです。

そこで、先ほど申しましたように自分の好きな事を混ぜたり、平行して行くことが大切になるのです。

言うなれば、2つの世界を行ったり来たりして、心体の調子を整えていくハイブリッド走行ということですね。

その世界を行き来し、煩悩(ネルギー)と正しく向きあい、心の垢を振り払い今生で彼岸到達しましょう。

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