個人の個性が本当に必要になります
今日は穏やかな日です。
成人式を行っている地域も多いと思われますが、新成人の皆さんおめでとうございます。
皆さんの発展を心からお祈り申し上げます。
駐車場のミモザが咲き出しました。
落ち着いていて、品のいい花です。
「二十一世紀は個人の時代である」
<ハイパーメディアクリエイター 高城剛>
高城剛さんのTwitterの言葉なんですが、これからの時代益々個人が大切になっていきます。
先日も一昨日も申しましたが、密教では仏さんの教えは書物や言葉を介さず享受することが出来ます。
密教とは仏教にヒンズー教の神様やバラモン教の祭礼など様々な要素を取り入れた最先端の仏教です。
この密教の出現によって、我々は出家者であってもなくても、もれなく平等に仏さんの光に照らされたのです。
よって多くの方々が救われました。
そして今、我々の周りにもそれに似たことが凄まじい勢いで起きています。
例えば、今はホームページやブログなどは殆どお金をかけずに、素人の方でも作れます。
昔はと言ってもついこの間までなんですが、サイトを作るのは難しく専門家の人達の技術に委ねていました。
しかし、今は優秀なソフトがあったり、そんなに見た目にこだわりがなければそれすらもいりません。
パソコンの知識がある程度あれば自分の意のままにサイトを構築出来るのです。
インターネットを介して直接触れているのです。
印刷物でも今はインターネットを介して直接データを入稿して格安で手に入れることが出来ます。
今通販で有名なAmazonもそうですね。
元は本の通販だったみたいですが、今や何でも揃っている世界最大の通販会社です。
密教の出現によって「仏」⇒「書物、言葉」⇒「我々」でなく「仏」⇒「我々」が可能になったように、様々な物が自由にしかも直接触れられるのです。
すごい時代です。
このように言うとじゃあ本屋さんやパソコンの専門家の人はいらないかと言ったら全然そうではないのです。
そこで、個人の時代です。
その人の感じたこと。得たことをその人なりに表現することが大切なのです。
つまり人や場や物に個性が必要になるという事です。
例えば有髪の方は美容院、もしくは床屋に行かれると思いますが、バリカンってありますよね?
バリカンっていうと丸刈りにするために使うものというイメージがありますよね?
ですが今のバリカンってすごくて、髪をすいたり、長さも5センチなら5センチと指定ができプロ顔負けの機能だそうです。
つまりインターネット同様に髪を切る技術もプロと素人の差がこうした機械の登場によってかなり狭まったのです。
髪型にこだわりがなければ、こうした優秀なバリカンを買えば4回ぐらい使えば元は取れまし、経済的でもあります。
でも、唯一変わらないのは美容師さんとお客さんつまり人と人との繋がりです。
技術を磨くのも大切ですが、残酷ですがそれだけでは足りなく、その人の個性が必要とされます。
その美容師さんは何が好きなのか?サッカーなのか?バイクが好きなのか?
その人が今まで吸収したことを自分なりに表現することが大切になります。
サッカーが好きと言えば、サッカーが好きな人が寄ってきます。
バイクが好きですと言えばバイクに乗る人が来ます。
サッカーが好きな人はどうせだったら自分と共通の趣味がある美容師さんに頼みたいですよね。
「特別そのお店が好きではなくそこにいる○○さんに切ってほしい」
個性があるとこうして繋がりが保てるのです。
個性がなければ、優秀なバリカンがあったり、優秀なソフトがあったり、便利な通販があったりと余程のことがない限り負けてしまいます。
我々は文明の発展により、様々な物を直接容易に手に入れられます。
しかし、様々な物を「中抜き」に出来る時代だからこそ、個人の個性が必要になるのです。
様々な物に触れ、様々な物を受け入れた人や物は映える時代です。