住職の日記

全てが照らされた時代だからこそ

全てが照らされた時代だからこそ

こんにちは。

今日も寒いですが風がない分、暖かく感じます。

椿(大城冠)の蕾が膨らんできました。

さて、昨日申しました通り、密教の出現によって我々は平等に仏さんの慈悲に包まれ

自分の本来持っている仏性に気付き幸せになりました。

そして、今それと同じくらいのインパクトのある変革期に我々は身を置いています。

インターネットを初め様々な文明の発展により、技術も物も情報も容易に簡単に手に入れるようになりました。

ですから、物や技術を持つことを目的にすると幸せにならない、豊かにならない、そういう時代なのです。

では何が幸福になるのか?

それは自分の道を持つことです。

物や情報を自分の道に必要なだけ持ち、自分の生き方を生涯をかけて極めることこそが最大の幸福です。

仏の道は仏に成ることではなく、仏の行いを極める事が目的であります。

何度も申していますが全てが照らされて、明らかになった時代です。

ですから、あまりにも目的や物に執着を働かすと、誰にも何も言われず自然淘汰されていきます。

密教の出現によって、この世は仏の世界だと皆が認識しました。

仏の世界、つまり道の世界とも言えます。

この世界では情熱を自分に与えられた道にそそぐことが、幸福なのです。

その逆はつまらなくなるという事です。

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