仏さんの願い
待望の雨に濡れた紫陽花。
アナベルという紫陽花です。
紫陽花と言ってもたくさん種類があります。
奥が深いですね。
さて、アジサイはアジサイの、桜は桜の、花はそれぞれ良さがあります。
それは我々人間も一緒で、花同様それぞれ良さがあります。
しかし、自分に与えられた良さを気付かず、または気付こうともせず、他人を羨んだりすることがあります。
それでは、折角の命が勿体ないです。
「俺の人生なんだから何しようと勝手だろう!」と言われるかもしれませんが、その体は仏様からの借り物です。
もちろん勝手ですが、我を通すなら幸福は遠のいて行く事は覚悟していた方がいいですね。
真の幸福を手に入れる為には、自分に与えられた良さを気付くことが大切です。
その為には、仏と一体であることを体得することが大切になります。
自分へのこだわりを捨て、この世のすべての存在は一体であると感じ取るのです。
そうすると、おのずと心が穏やかになり、自分と本当の意味で向き合う事が出来ます。
そこで、仏さんが自分に与えた使命に気付くのです。
それこそが仏さんが我々に命の与えた本来の願いであり、我々の出生意義であります。
それに気づいたら、生涯をかけて磨き続ける事が大切であり、真の幸福です。
「宝とは道心なり」 <天台宗開祖 伝教大師最澄>
「人生は宝探しだ」という言葉がありますが、物や名誉が宝とする事は、砂地の上で城を建てるようなものです。
何故なら無常だからです。
億万長者だ有識者だといったところで、無常の前では無意味です。
何人も勝てません。
したがってこの世で一番幸福でそしてクールな生き方は、自然(仏)と一体であると覚り、自分に与えられた事を全うすることです。
上の言葉の通り、天台宗開祖の最澄様も、宝とは「道心」であると言われてます。
日本の仏教界を代表するお方でありながら、自分に厳しく、仏法を広めることに尽力されました。
「道心」を保つには、常に自分はまだまだだと、謙虚な心が必要なのですね。
自分が仏と一体であると感得し、全体の中に存在する小さな自分を見て、何をすべきかを知り、自分の道を時間の限り全う(楽しみ)しましょう。