稲刈り後早々に耕された田んぼ。
稲や稲株もまた来年の健康な土への肥やしになります。
さて、今日は文化の日ですね。
…「文化」という言葉は英語で「culture」と言い、この言葉の語源はラテン語 の
「colere」(耕す・培養するという意味合い)から来ているそうです。
それが、技術の進歩、文明の発展とともに、その耕す、培養するなどの意味ではなく
その地域や国の風習や習慣を文化というように言われるようになったそうです。
日本でも、「日本の文化」という使い方をよくされるように、人々が作る社会組織による
風習や習慣がそれを指すことが多いです。
社会や地域性は言わずとも、そこにいる一人一人の人で作られているので
その地域の文化はその地域住民の総体と言えるのです。
ですから、素晴らしい文化の有る地域、国にするには
一人一人の心の土壌を柔らかく耕さなければなりません。
作物も、作る前には地を耕さなければなりません。
地面が固いままでは、作物は育ちにくいですからね。
そして、その心の柔軟剤が仏法で有るのです。
仏の光は常識や因習など何事にも囚われることなく、我々に届くのです。
まぁそれを享受して、行動するかどうかは別としてですが。。。
「○○でなければいけない」「○○に決まっている」など、文化や伝統があればあるほど
新しい物を受け入れられなかったりします。
また、反対に時の権力者が今までの風習や文化を否定することも。
ですが、大事なのはどんな文化や伝統が有るではなく、根本の土壌の多様さと柔軟さ
なのです。
これがないと、いくら伝統があろうと、そして今支持を得て優れていても
貧しい作物(果)しか得られません。
ですから、何事にも囚われず差し込む光(慈光)を浴び耕し、柔軟な心を作ることが大切なのです。
何事も囚われることなく、ということは「新しいから」「古いから」という先入観に惑わされない
ということです。
まぁ一言で言えば上の耕された田んぼですね。
前の稲や稲株も栄養となって、次の世代の支えとなるのです。
こうして、何層も何層も新しい稲が重なっていき、良い土壌ができ
また種を撒き、そこから元気な稲が出てきて、また土に還っていくのです。
ですから、柔軟な心が無いと、古いものも、新しいものも生かされず=「死」を意味するのです。
…仏教は飛鳥時代に日本に伝わってきました、そして元々日本に居られた神と習合までしたのです。
習合は互いに敬意を払い「習い合う」と書きますね。
こうした日本の根底にある文化を大切にして、日本の誉れとして世界にアピールしていきたいですね。
その為には、心を耕し、新しい物と古いものとを編集して、地域や国を豊かにしましょう。