住職の日記

だから皆で渡ろう


稲が駆られた後の田んぼ。

稲のひこばえ(稲孫(ひつじ))がチクチク出てます。

軽く穂がついてます。

晩秋の風物詩の一つですね。

羊も毛が秋から冬にかけて伸びるそうで、そこから「ひつじ」と呼ばれるように

なったそうです。

これから、食べ物に困る鳥などは大喜びでしょうね。

本当に、この田は施しという言葉が似合います。

水を溜め、様々な生き物を生かし、そして穂がなれば、その命を我々人に施し

そして、稲が駆られた後も、力を振り絞り、穂を実らせ、鳥に施す。

まさに田は母なる大地でありますね。

この田で一体いくつの命が生かされているのでしょう。

これは、慈悲心に満ちた仏様(胎蔵界大日如来)の表れであるのではないでしょうか。

だから、皆で彼岸に渡る事が大切になるのです。

一人だけで、こんな大きな施しはできませんから。

「普請」という言葉がありますが、道を直すときは道普請、寺を直すときは寺普請と

言いまして、このようなインフラは皆の力を合わせ作ることが大切になるのです。

だから、一人で彼岸に渡れたら、「渡れたぞ」とニヤニヤするのではなく、

先に渡った人はまだ迷いの世界(此岸)にいる人々を導く事が大切になるのです。

そして、この田はご存知の通り、重労働であるので、田を別の言い方で「結」と言います。

つまり、こうして皆がそれぞれできる行いで、協力し合い尽くし合う姿がそのまま

大日如来(胎蔵)の曼荼羅を表すのです。

黄金の国ジパングの由来は、夕日にキラキラ光る穂であることもそうでしょうが、

私感ですが、こうやって共生をする人々の姿がそのまま黄金に満ちる仏に見えたからではないでしょうか?

だから、皆で彼岸に渡ることが大切になるのです。

一人だけの力では、こうしたインフラ整備はできません。

皆がその恩恵を受けれるインフラは、皆で協力して、作ることが大切なのです。

お釈迦様も、弘法様も、悟られた方でありますが、その威光を

世俗で苦しむ人々に配慮し、敢えて隠し、それぞれ慈悲行、菩薩行を生涯をかけて

行い、人々を導きました。

弘法様に関しては今も行っていますが。

従って、気づいた人から導き、皆がそれぞれが尽くし合い、曼荼羅を形成することが

大切になるのです。

それが、極楽浄土のように苦は無くなりませんが、それぞれの方便で苦を超え、

病を超え、死を超え、悲しみを超え、皆でたどり着く、この現実の仏の世界

密厳仏国の姿であるのです。

いちばん上に戻る