住職の日記

上を目指していく部分も…

赤い山茶花が咲き出しました。

ますます、冬が近づいてきますね。

花が少なくなる冬を彩ります。

そして、虫達にとっても貴重なオアシスです。

こんな大きなスズメバチも花の蜜を吸いに来ます。

(ジャーナリズムの心で頑張ってカメラを寄せましたが、ここが限界です)

この時期、甘い蜜の香りには要注意ですね。

…皆さんもご存知の般若心経の冒頭に出てくる「波羅蜜多(はらみた)」は

サンスクリット語のパーラミーターの監訳で「完全である」「最高である」など

仏教の修行の完成形を意味を表し、悟りの境地にたどり着く「到彼岸」を表します。

彼岸に渡る為には修行に励みます。

ですが、苦難の道を修行で乗り越え、一人で悟りを開いて、その蜜の味をニヤニヤと楽しむことは

実は慢心になるのです。

確かに、渡るためには修行は大切ですが、我々は一人で生きているわけではなく

周りの評価も外せないはずです。

インドで仏教が衰退した理由に、仏教集団はあまりにも自身の悟りばかりを求め修行する

ことに熱中しすぎ、基層信仰(一般の人々の信仰)を得られなくなり

ヒンドュー教の台頭により、弾圧され、衰退しました。

なんの世界でも一緒ですが、あまりにもこだわり過ぎると、こうなるんですね。

何故なら、この世は片一方で「これ自分に取ってどんな意味がある?」という

価値と価値の交換が行われる資本主義でも有るのです。

ですから、修業に辿り着き気づいた方は、まだ迷いの世界(此岸)にいる人々を

導かなければなりません。

お釈迦様もお大師様も、修行によって悟りを開かれました。

ですが、それぞれ悟りを開かれた身でありながら、それぞれ慈悲行、菩薩行を行い

世間の塵を敢えて被り、衆生救済に生涯を費やされました。

これを「上求菩提・下化衆生」と言います。

上求菩提(じょうぐぼだい)は自分の修行を求めていくことです(自利行)。

我々で言うと、自分の仕事の技をとことん磨き上げるということです。

ですが、先程も申しましたように、あまりにもこだわり過ぎることは

時に周りの理解を得られなくなることもありますので、気をつけなければなりません。

ですが、その修行の中で自分は生かされていて、宇宙の一部であると

謙虚な心を会得することが大切になるのです。

その修行で培ったもので、他に尽くす、つまり「下化衆生(げげしゅじょう)」

が大切になるのです。

この利他的な心がなければ、自利行の意味はないと言っても過言ではないでしょう。

じゃあ、端から自利行をせず、利他の行いをすればいいのか?そうではないです。

何故なら、利他行って自分が心からできることかどうかとは別なのです。

つまり、どんなに他人様にとって善い行いでも、それを行う人が好きかどうかは

別の話なのです。

現実的に、無理に行いをしても、自身の身体を壊すだけなので、よくありません。

ですから、好きな事(自利行)も混ぜて行くことが、大切になるのです。

ですが、繰り返しになりますが、好きなことでも、全く誰からも評価されないものも

継続は困難であります。

ですから、この自利と利他という相反する価値観の接点がどちらにもとらわれない道

「中道(悟りへの道)」となるのでしょう。

…ちょっと前に三菱自動車が「ランサーエボリューション」というスポーツタイプの車の

生産を中止したというニュース記事を見ました。

今は昔ほどスポーツカーの人気は無いかもしれませんが、スポーツカーというと

一部の車に詳しい人や、好きな人にはたまらない車でしょう。

ある種、マニアの粋かもしれませんが、その古き良き伝統を受け継いでいるってだけで

価値が高まるのです。

車って快適に燃費良く走らすだけが車では無いはずです。

そこにはその車が好きで好きでたまらないという、儲からないかもしれませんが

職人の熱い心があるのです。

これは「上求菩提」でにあたると思います。

三菱は人気のSUVやハイブリッドに力を注いでいくらしいですが、TOYOTAや他のメーカーも

やっていると思うのですけど…。

ですが、そんな中、反対にマツダは「2%の熱いファンに車を作る」というコンセプトのもと

少し、こだわった車の仕様にして、業績を上げているそうです。

2%と言うのは、車の全体のシェア率です。

こうして、インフラが整備され、物が行き渡った物余りな時代

こうした情熱的なもしかしたらエゴとも捉えられるかもしれませんが、

それくらいの「上求菩提」の職人魂も必要なのです。

万人に必要とされようと思えば思うほど、周りの評価とは裏腹に自身の心は

どこか崩れていくと思うのです。

人の役に立つということは、非常に困難なことで有るのですから。

ですから、利他の行いも大切で、もちろんそれが基本になりますが、そうした「技を磨いて行こう!」

という情熱も大切になるのです。

情熱を注げられるものは、好きなことです。

案外、上求菩提という部分が欠けている時代かもしれませんね。

ですから、こうした物が有り余っている時代、「人の役に立つ」というだけでは難しい時代かもしれません。

文明の発展も凄いですからね。

ですから、そこに少しワガママを挟んで、「自分の磨いた技で役に立ちたい」と

言うくらいが丁度いいかもしれませんね。

ただ「人に役に立つ店」なら、ネットショッピングか大型店舗に行きますでしょう。

そこで、選ばれるためには「上求菩提」という自利的な要素もある事が必要となるのです。

もちろん、こだわり過ぎはよくありませんが。

相反する価値観、どちらにも囚われず、貪欲に上を求めていく情熱と他の為に謙虚に行う部分と

併せ持つことが大切ですね。

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