知り合いの方から祖父江の銀杏を頂きました。
これを炒って塩を振るとモチモチして美味しいです。
しかし、若干銀杏って匂いますね。
調べましたところ、こうした匂いを放つのは、実をネズミや猿などから
守る為の種の保存の為であるそうです。
花は受粉させる為に、芳しい香りを漂わせ虫達を誘き寄せますが
銀杏の実は反対に生き物を遠ざけるために、こうした独特な香りを放ちます。
こうして匂いを巧みに使ってい、子孫繁栄をしているのですね。
…嗅覚をはじめ視覚、聴覚、触覚、味覚、これらの五感で我々の世界は作り上げらています。
そして、これらの五感は人を惑わすとも言われていますが、密教ではこれらをフルに活用して
悟りの地にたどり着こうとします。
…当たり前ですが、街の中と自然の中では、環境が全然違います。
街には美味しいごはんのあるお店、高層ビル、かっこいい車、かっこういい洋服…などなど
街にはいろんな物が有りますが、それらは本当は無いのです。
自然の中には木々に囲まれて先ほどの街にある物は全く無いですが、その中に
本当の姿が有るのです。
「有る」の中の真実は「無く」、「無い」の中に真実が「有る」のです。
こうした、五感は無いから有るを悟る為に必要なのです。
しかし、これを先ほどの、「確固たる物が有る」と五感を囚われてしまうと
迷いの元となるのです。
弘法様は若き頃、こうして山に篭もり修行をされましたが、当然厳しい生活を強いられるわけですが
その何も無い不便な生活で五感を研ぎ澄まされ、悟りを得るのです。
弘法様がこうして山岳修行へと駆り立てた要因の一つは、貴族の家の子供が通うような大学に通っていて、
つまりエリートの道を歩んでいて、その生活の中で、「この世界に本当の幸せがあるのか?」
疑問をいだいたことによるものです。
そこから、大学をドロップアウトして仏道修行に励むのです。
お釈迦様もそうですね、釈迦族の王子という立場でありながら、町中で生老病死の苦に纏われ
苦しむ人々を見て、王子という立場、そして、妻子を捨て、出家されました。
御二方とも、「有る」の世界にから何も無い世界に飛び込んで、悟られています。
まぁ、そこまでは流石に中々できないですが、こうした「有る」は「無い」ということを
知らないと、惑わされ、穏やかな生活ができないですよね?
情報でも、「○○は良い食べ物」「○○は悪い食べ物」と流れ、
こっちに偏っては、何か問題が生まれ、またこっちに戻って、また何かの問題が生まれる。
迷いの人はそうして、落ち着きがなく穏やかになることは無いのです。
…もしかして、我々は「こうでなければダメ」「これがなければ生きていけない」と
何か意味のないものにしがみついて、苦しんでいるだけかもしれません。
そうではなく、無いものの中で五感をフルに活用して、得るものこそ本当の宝なのです。