住職の日記

すべてを剥がしたら何がそこにあるのか?

すべてを剥がしたら何がそこにあるのか?

ヤマボウシの花が咲き出しました。

これも初夏の花は爽やかで好きです。

白い花と緑の花との調和が素晴らしいです。

また、山法師(ヤマボウシ)の由来は、丸いツボ意味を坊主頭に

周りの4つの花びらを頭巾に見立てたところから来ているそうです。

さて、地球は周り、太陽は周り、季節は移ろいで行き、世の中は常に変わり続けています。

そんな中で我々は物や家族などに拠り所を求め安心を得ようと努力するのですが

当然それらも無常の世に合わせて、常に変わり続けているのです。

もちろん、大切にしてはダメということではありませんが、それらを拠り所とすることは

とても不安定で同時に大切な事も見失っているのです。

何一つ変わらないもの、それは「真実」であります。

真実は何一つ変わる事はありません。

言い換えれば、我々はその真実を見失わなければ、真の安心を得ることが出来るということです。

真実に様々な細胞が集まり薄皮の中に一つに収まり、これが我々の姿になるのですが

これは真実の仮の姿なのです。

よって、拠り所とするのがそれ以外だと、旅の目的地を忘れるようなもので

路頭に迷う事は当然と言えましょう。

しかし、この真実さえ見失わなければ、何度でも立ち上がることが出来

時代が如何に変わろうと、何かにとらわれることなく、対応していけるのです。

自分についた名前は呼称であり、我々の正体(真実)は方便であります。

それを究境とすることこそが、我々の目標であり、絶対安心の領域なのです。

家族も物も肉体もすべて自分の魂から剥がしたら、そこに何があるのか?

それこそが、真の正体であり、御佛から与えられたミッションなのです。

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