知ることが目的?
カシワバアジサイが咲き出しました。
葉が柏に似ているところから、そのような名前が付いているそうです。
さて、今はネットの普及により殆どの事は「知る」事が出来る時代です。
しかし、それは「解った」ということとは違うのです。
例えば素晴らしいお話をされる先生の話を聞くことは大切ですが
それ聞くことを目的としているのでは、効果は半減され
その話を聞いて、刺激を受けて自身の中に眠っている力を引き立たせるために
聞くのです。
聞く事や知る事は大切ですけど、それが目的ではないのです。
しかし、知る事は充実感をもたらすので、それで終了となる事が案外多いです。
勉強は大切ですが、勉強そのものに生産性はなく、実践そのものに価値があるのです。
我々は、学ぶこと、何かを得ることは、穏やかに暮らしていくための手段であるのですが
その手段と目的が転倒してしまえば、不具合が生じてしまいますよね?
情報は大切ですが、四六時中情報をせっせと収拾していてはそれで日が暮れてしまい
大事な「今」を失えば、何の為の情報なのかわかりませんよね?
情報をえらなければ不安を覚えるようになっては、本末転倒です。
もちろんネット情報は大切ですが、先日も申しましたように、すべての物は毒でもあり薬でもあるのです。
過度に触れればそれは毒にもなりましょう、ただ全く触れないのも毒になるのです。
よって、すべての物を妙薬に変えるためには、自身に求道心を宿す事が大切になるのです。
求道心があれば、善悪を超えて真実が浮かび上がってきて、それらに依存することは
ないのです。