こんな時代だから?
新緑が美しいです。
風に吹かれ、心地よい音を奏でます。
今の時期本当に気持ちがいいですね。
さて、「世の中汚い」「この世は不幸」こういう言葉良く聞きますよね?
確かにその通りでもあります。
欲望の強い人が人の心や町を無茶苦茶にしていく様は本当に人を悲しませます。
しかし、だからと言って自分の心までそれに染まって(負けては)いけません。
何回もお話させていただいていますけど、仏教のシンボルでもある蓮華は汚泥から咲いてます。
その花は汚れることなく、美しく咲き誇ります。
ですので、我々人間も泥中の蓮の様に、泥を栄養にして美しい花を咲かすことが大切です。
世の中がどうなって行こうと、それは我々個人の力ではどうにもなりません。
どうにもならない事を嘆くのでなく、「それをどうしたら利用できるかな?」とある意味強かに生きることが大切です。
我々の目標はこの世で幸せになることです。
要は幸福になればいいのでその為には、善悪判断する色眼鏡(自分のこだわり)をすて、今あるものを受け入れ、感謝することが大切になります。
「こんな世の中嫌だ!」とちゃぶ台ひっくり返してしまえばそれまでですし、それでは、強欲な人と殆ど変りません。
クリエイト(創造する)という言葉がありますが、
クリエイトする際に無から創造する場合、相当大変です。
幸せを創造する際、無いものを欲しがるより、今自分にあるものを受け入れ(認めて)、活かす事が手っ取り早いのではないでしょうか?
いつか幸せになる、より今も幸せの方が数倍楽しいです。
その為には、周りの人に貢献する「菩薩行」が必要になります。
周りの物や人を認め、自ら行動し、貢献すると人も自分も幸せになります。
するとどうでしょう?
その「こんな世の中」とされる世界に花が咲くではありませんか。
私たちはくどいようですが、幸福になる為に生まれてきました。
言い換えれば幸福な時間をいかに増やす努力をするか、であります。
「こんな世界嫌だ」「世の中は終わりだ」と決めつけてしまえば、そうなります。
しかし、「こんな世界」にも自分の行動によっては花を咲かす事は可能なのです。
そもそも蓮の花も泥があるから咲くのです。
「こんな世界」をどのようにとらえるか?ですね。
先日島根県安来市の足立美術館に行きました。
美術品、日本庭園、美術館を囲う大自然、それらが一体となり素晴らしい世界が存在してました。
どんなに素晴らしい庭園も、美術品も、自然もそれぞれバラバラだったら、年間五十万人もの人が足を運ぶ施設になったのでしょうか?
それぞれが融合することにより、それぞれの存在の価値を高めているのではないでしょうか。
素晴らしい美術品を見続けて疲れた目を、庭で癒し、自然に囲まれていて俗っぽい世界から離れる事ができ、集中して楽しめます。
このように、それぞれが互いの違いを認め、努力すれば、美しい大きな花があちこちで咲くのでしょう。
何て言ってもこの世は価値と価値の交換です。
「こんな時代」なら何が出来るのか?
こだわりをすて、周りを活かし、強かに生き、美しい花をクリエイトしましょう。