3月は彼岸がありますね。
彼岸とは本来迷いの世界(此岸)から悟りの世界(彼岸)へ
たどり着いたという意味であり、我々は修行によって今生でその世界を渡ることを目標とするのです。
…それで修行によって幸いにも渡ることができたならば、どうするのか?
それは、まだ此岸(迷いの世界)にいる人々を全員運ぶように手助けをすることです。
実は彼岸へ渡ったら、渡ったりきったままではダメなのです。
あえてこうした迷いの世界の泥に塗れながらも、利他の行いをすることが大切なのです。
老若男女たくさんの人々を運ぶためには船でも飛行機でもなんでもいいですが、
そうした乗り物が必要ですよね?その乗り物こそ密教なんだと思うのです。
上求菩提下化衆生という言葉があるのですが、自分の修行も大切ですが
衆生救済の行いも大切なのです。
自分一人が仏の世界を見て、ニヤニヤして慢心している事は、自利利他円満にはなりません。
仏教を開かれたお釈迦様も悟られた際に、こんなことは人に言っても理解されないだろうと
心の中で留めておこうとしたのですが、梵天からの説法の道を進まれて、その後生涯
布教の道を歩まれました。
弘法様は今も尚高野の山奥で修行をしつつ、同行二人の名のもとに、我々に寄り添い
菩薩行をなされています。
…今「自分だけ良ければいい」というのが社会的な風潮ですが、このお彼岸の期間だけでも
他の幸せを思うことが大切ですね。
そして、他を思う事は自身を省みるということに繋がると思うのです。
お彼岸はそんな心の点検期間なのですね。