住職の日記

ようやく大城冠の花がカメラの届く場所に咲いてくれて

いい感じにカメラに収める事が出来ました。

…さて、仏様が慈悲の光を与えてくださることを「加」と言い

我々が仏様に誓願を立てて行動することを「持」と言い合わせて加持と言います。

ただ単に待っていれば仏さんが何とでもしてくれるというのでは駄目ですし

反対に行動していても御仏の慈悲の光を疑い、信じていなければこの「加持」は完成されません。

我々が御仏を信じ心を強く前に進むことによって、より仏の存在を確かにしてくれ

その仏の慈しむ光によって、自身の菩提心を最大限大きく成長させてくれるのです。

…前提として我々は既に御仏の慈悲の光に包まれているのです。

実はそれを妨げているのが、何を隠そう自分自身なのです。

自分自身がどうせそんな事無理だろう、そこに幸せなんて無かろうと、疑いの心を持っていれば

この「加持」は完成されません。

ですから、どれだけ信じられるか?ですね。

実は一番の敵は自分だったりします。

太陽に向かって素直に咲く花みたいになりたいですね。

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