住職の日記

逃げずに真実の心の姿と向き合う

逃げずに真実の心の姿と向き合う

境内を大きい亀が歩いてました。

卵の殻があちこちに落ちてるので、そろそろ子供が孵ったかも知れませんね。

さて、何かに行き詰った時、その停滞する状況を打破するいい方法が、「一行三昧」。

つまり1つの事を徹底的に行う事です。

お釈迦様のお弟子に周利槃特という方が居られたのですが、時々自分の名前を忘れるぐらい物覚えが悪く、

仏道修行もまともに行えない程出来が悪かったそうです。

お釈迦様はこの愚かな弟子に一本の箒を与え「難しい事を考えずに、朝夕箒をもって掃除に打ち込みなさい」と命じられました。

それ以来この周利槃特は箒を持って、毎日「塵をはらわん、垢を除かん」と口ずさみしながら掃除に専念しました。

そして、何年も何年も掃除をして行くうちに、この塵とは垢とは自分の心に積もった塵や垢だと言う事に気付いたのです。

そうして、この掃除行に徹した周利槃特は悟りを開く事ができ、神通説法第一の阿羅漢と云われるようになったのです。

お釈迦さまも「悟りを開くということはたくさん覚えることでは決してない。たとえわずかなことでも、徹底しさえすればそれでよいのである。」と仰られました。

あれもこれもしようと思うと、自分の能力がそれに及ばない場合は、まともに前に進む事は出来ません。

しかし、これなら自分でも出来ると言う物を見つけ、それを徹底的に行う事によって、愚かな弟子と言われた周利槃特の様に
悟りを開く事が出来るのです。

「如実知自心」という言葉がありますが、これは自分の真実の心を知ることが大切と言う意味です。

真実の心、それを知る事は自分の愚かさと向き合う事と一緒であります。

しかし、自分を愚かだと知る事が、悟りへの道の第一歩でもあるのです。

余計な雑念をいれず、自分と向き合い、自分の愚かさを知り、自分が今出来る物を見つけ、後はひたすらに磨き続ける事が大切になります。

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