住職の日記

謝罪って?

謝罪って?

念願の「雨」×「アジサイ」です。

雨は平等に降り注いでいます。

どのように受け取るかですね。

さて、「感謝しなければなりません」「感謝できる人生は幸せである」と言います。

が、具体的にどういう事か言うと感謝とは、「謝罪を感じる」という事です。

謝罪は何か悪い事や失礼があった際に相手に許しを乞うものだけ、だと思われがちですが

ただ、我々の生活は謝罪の連発であります。

自分ひとりでは生きている人はおらず多くの人の尽力があって成り立っています。

よく、お店でも何でもそうですが、何か商品を買った際に、お店の方が「ありがとうございました」といって

商品を渡します。

そうすると、お客である我々も「どうもありがとう」と言って、商品を受け取ります。

ある人からすると、「何で客なのにありがとうと言わなければならないの?」と思われるかもしれませんが

そうした生き方は、残念ながらこの世の真理から外れているのです。

この世の真実は、尽くしあう命であります。

今、目の前にある商品は、多くの人の労苦があって我々の元へ届いているのです。

その労苦に価値があり、金銭と言う価値と価値の交換が行われているので

お金を払う方が上なんて言うのは、思い違いで「お金を払う側」も「商品・サービス」を提供する側は

同等の立場なのです。

「「俺の」金だ!」くれてやるんだぞと言うのは、「夢想」「顛倒」の真っ只中で、正しく見れていないので

当然正しい道なんて歩めるはずありません。

つまり、「ありがとう」という言葉で始めて正しい取引が成立するのです。

それが、「マナー」だとか「紳士の立居振舞だ」とかそういう事よりも、もっとこの「ありがとう」には深い意義があるのです。

「相手の労苦に謝罪を感じ、そして相手も感謝する」つまり、人間は罪深い物、誰かの力や犠牲を伴い

その上に自分の命が成り立っているんだという大切な「謙虚な心」を忘れない為です。

ありがとうと思えない人は、幸せになる事はありえません。

自分は悪くないのに謝罪なんかできません。つまり感謝できないのです。

また、同時に人を許すことが出来ませんので、無慈悲な殺生を繰り返すことでしょう。

それが、自覚がなければ恐ろしい物ですね。

幸せな人は、この世の真実、尽くしあう命を自覚し、自分の至らなさ、誰かに迷惑をかけているという

謙虚な心がある人なのです。

「あまり迷惑かけたくない」と言う人がいますが、人は既に誰かに迷惑をかけているので、

つまり、迷惑をかけるのは避けられないので、その逃れられない事実をどうするのか?

行きつくところは「ありがとう」と感謝するしかないのです。

勿論これは一方的で、その分自分も誰かの役に立っているという事です。

これが尽くしあう命の世界、阿字の古里の相(すがた)なのです。

罪を感じ、その視線の先には多くの人の労苦、または命の犠牲があり、それを我々は受けて生きて行く。

その自分と言う存在に、謝罪を感じずにいられないでしょう。

「ありがとう」 この言葉一言で、この世の真実を表していると言っても過言でもないでしょう。

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