住職の日記

謙虚になると世界が広がる

謙虚になると世界が広がる

夏の風物詩のスイカ。

とても甘く美味しいです。

さて、車のブレーキにもハンドルにも「遊び」があります。

もしこれが、全く遊びがない状態だったら、急ブレーキに急ハンドルと町は大混乱になることは間違いありません。

それは、我々の心も同じように、何かを決めつけていたりして心に「遊び」がない状態では、こうなる事は言うまでもありません。

偏った考えの者同士がぶつかり合って大混乱、周りの人もそれに巻き込まれるからたまりません。

心に遊びがないとそうなります。

したがって、ブレーキやハンドルの様に遊びを作らなければなりません。

そして、その心の隙間のなさの原因は、慢心です。

「自分が正しく他が間違っている」と他を見下している状態です。

この状態はこの無常の世を渡っていく際に、一番まずい状態です。

謙虚さを失えば、同時に学ぶ姿勢も失いますから、そこで成長がストップするという事です。

そして、周りはどんどん止まることなく変わって行きますから、止まった自分と周りにズレが生じます。

そのズレに不安を感じ、醜態をさらしだすのです。

よって謙虚さを如何に失わないかです。

我々は普段お経を読む際に「南無○○」とお唱えします。

南無とは帰依と同義語で相手に敬意を表す意味です。

頭を下げ、相手を敬う事をこの勤行を通じて心に刻んでいるのです。

そして、謙虚になれば様々な物で幸せに、または感動することが出来、世界が一層広がります。

逆に「何でこんなもんで俺が楽しまなければなんないんだ」と傲慢な人は、何しても幸せになれません。

そして、そういう人は世界が固まったままですから、無常の風を浴び衰退は必至です。

「こんなもん意味ない」「あんなもん一体何の役に立つ」

こう思い出したら、慢心している証拠であり、そして危険信号でもあります。

互いに敬意を払い、認め豊かな世界にしましょう。

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