住職の日記

主人は誰?

主人は誰?

夏の花の夾竹桃が咲き出しました。

赤い花が鮮やかでいいですね。

葉が竹、花が桃に似ていることから、夾竹桃とういう名がつけられたそうです。

さて、この世で仏の教えに出会えてた事は本当に幸福な事であります。

何故なら皆が幸せになるからです。

仏教がなければ、つまり他を認める心がなかったら偏った価値観を持った者同士が

どっちが正しいか、優れているかと白黒つけようと争い続ける事になるでしょう。

しかし、仏教があればそのような詰まらない世界から脱却することが出来、幸せの時間を増やすことができるのです。

これほど幸福な事があるのでしょうか?

しかし、世の中には様々なブームというものがあり、様々な価値観が蔓延し、その都度流行り廃りを繰り返します。

そして、我々はそのような流れに惑わされ、迷いを生じてしまうのです。

本願寺の中興の祖の真如上人の言葉に「仏法を主とし、世間を客人とせよ」と言う言葉があります。

つまり、時代がどのように揺れ動こうと、大切な事は忘れてはいけないという意味です。

もちろん、新しい価値観というものを排除や否定はしてはなりません。

お客さんに接するように、丁寧に敬意を持って接し、時にはその新しい価値観を取り入れたり、受け入れたりすることも大事です。

しかし、肝心の最初の大切な理念や信念を忘れてしまい、時代に惑わされその時代ごとに新しい物を主人にしているようではダメという事です。

何故なら仏とは真理その物です。

その真理を体得したお方の教えですので、こればかりは流行り廃りがありません。

したがって、これを忘れ、一時の流行に惑わされ世に出るという事は、激流の川に飛び込むようなものです。

何故ならこの世は無常であります。

その時代は、それがもてはやされたかもしれませんが、無常の風はそんなに甘い物ではありません。

必ず、無くなりはしないかもしれませんが、それが時代の主流でなくなる時が来ます。

その都度迷い苦しんでいては、有限の時間が勿体ありません。

この無常の世で、何を自分の心の支えにするのかは自由ですが、この世の真理を体現されたお方の教えが最適であるのは間違いないのです。

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