住職の日記

パンとサーカス

パンとサーカス

コストコのベーグル、とても美味しいです。

6個×2で680円ですので、一つあたり50円ぐらいです。

お値打ちですが、食べ切れない分は冷凍します。

コストコ行かれる前には冷凍庫を空にしていくといいですね。

さて、我々日本人はこうして見渡すと、飽食と言えるくらい食べ物には不自由しません。

全国津々浦々こうした食べ物が行き渡ることは幸せの象徴であり、感謝を忘れてはいけません。

しかし、そんな幸福な時代に生まれながらも、幸せになれずに苦しんでいる人が多いという矛盾が

存在しているのも事実であります。

ちょっと昔の人からすると、この日本はどれだけ幸せの楽園と思われるかもしれませんが

誠に残念ながら自死者が10年以上連続で3万人という自死者大国にもなっているのです。

そして、食べ物だけでなく、娯楽施設も増え、テレビでは毎日朝から晩まで面白い番組がほぼタダで見れ、

さらにそれだけでなく今やネットで何でも見れて、コミニケーションも取れるという時代です。

凄いのは、これらはほぼ「タダ」ってところが凄いですね。

……この間ツイッターを見ていたら「パンとサーカス(見世物)」という言葉が流れてきて

目に止まりました。

「パンとサーカス」とは詩人のユウェナリス(西暦60年-130年)が古代ローマ社会の世相を揶揄して

詩篇中で使用した表現であります。

ローマ国では一部の有力者から無償でパンとサーカス(娯楽)が市民に無料で配給されて行き、これによって

市民が狂乱し、ローマ帝国が没落した一因にもなったと言われいます。

……これって今の日本によく似ていますよね?

飽食と言われるくらい食べ物が溢れ、その殆どは我々の胃袋に届かず、廃棄されている有様です。

この無慈悲は行為は仏教が一番重く捉える戒律の「不殺生」に反するのです。

そして、無料に流れる娯楽に気を取られすべきことをせずに時間だけが流れていく。

すべてがそうではないですが、全体的に見るとそういう流れになっていっています。

実際「パンとサーカス」は、ローマではパンつまり食料が行き渡ったら、次に娯楽を求めていったと

言われており、今日本は「カジノ」建設に躍起になっています。

別にそれが善い悪いでは無いですが、本当にその格言の通りになっているから、怖いのです。

時代がどうなろうとも、我々は「智慧」を宿しておかなければ滅亡の道は避けられません。

これから時代はグローバル化していきますので、今のような豊かな食料はいつまでもあるという

保証はどこにもないのです。

そもそも何で日本はこれだけ飽食なのかと一度逆算しておくといいかもしれませんね。

般若心経の中にも「不増不減」とあるように、一時的に増えて見えますが、実は増えても減ってもいないので

次第に収まっていくと思います。

その時に一度肥大した精神を戻すのは中々難しいでしょう。

そうした、無智の状態でその時を迎えるならば、今は食べ物が豊富だから無いですが、貪り続け

争いごとが起き、今のように平穏な日々ではないかもしれません。

従って、昨日も申しましたが、「心の田んぼ」を耕しておきましょう。

そして、本当の田んぼも耕しておいたほうがいいかもしれませんね。

究極は自給自足なのですから。

バブル絶頂期に居られた方々は口々に「まさかバブルが弾けるとは…」と言われます。

第二次世界大戦で「我が日本国が負けるはずない」と思っていて、「絶対に安心だ」という原発は爆発しました。

この世は無常で、すべてのものの価値は変動し続けています。

今は価値の無い物でも、時代と状況が変われば、とんでもなく価値が上がることもあるのです。

今物を無残に捨てている行為の精算が、いつかはなされるかもしれませんね。

そうならないためにも、時代が如何に流れようとも、智慧を灯りとして真理に沿って歩んでいきましょう。

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