住職の日記

松の実がパラパラ落ちていました。

今朝、松の木の下に、何かパラパラ落ちているなぁと思っていたら…。

これ松の実です。

松の実は乾燥すると、ヒダが開く習性があるので、今の晩秋の時期

相当乾燥しているのですね。

朝から消防車の音が何度もなっていたので、火には気をつけなければなりませんね。

また、松の実には翼が付いているものと、そうでないものがあるそうで、

この黒松は種が風にのって繁殖していくタイプの松ですね。

この松は樹齢何年か知りませんが、もう一部が皮だけになっている部分もあるので

無常の老病死に直面し、子孫を残そうとしているのかもしれませんね。

…みなさんもご存知でしょうが、密教は弘法様が唐(今の中国)より持ち帰られた教えですが

長安の青龍寺で恵果阿闍梨より、教えを授かれました。

しかし、日本から来た留学僧にどうして伝授されたのかと言うと

もちろん弘法様がそれ相応の器の持ち主であるということもそうですが

唐の国における寺院の存在が危うくなってきたからという理由もあります。

恵果阿闍梨自身、このままでは国の弾圧に受け、法燈が絶えてしまうと危機感を持っていて

そんな時に、日本から現れた留学僧の弘法様に出会い、即座に伝授をして

教えを極東の地である日本に、渡すことができたのです。

そして、弘法様はその名の通り教えを「弘法(教えを弘め)」して、恵果阿闍梨の意志を

引き継ぎ全うされたのです。

…どんなに文明が発展し、物質的に豊かになったとしても、無常ということは忘れては行けません。

無常という鬼がウロウロする、そんな世界に我々は身をおいているのです。

ですが、ビクビク怯えろということでも無いのです。

無常に苛まれて悲しめということではなく、そういうものだと自覚した上で

修行をすればいいのです。

どうでしょう?何が残りますか?物やお金だけではモチベーションは保てないかもしれませんね。

どのみち、無常の鬼に取り上げられるのですから、、、よって見返りがなくてもできる修行

つまり、自分の好きなことをしましょう。

好きなことであれば、それで何か得ても得なくてもその行いが目的ですので

それを続けていけるはずです。

そしてのその境地こそ無常の鬼も侵害することができない、不退の地になるのです。

虚空(何もない無い)の世界の中で唯一残るのは方便のみです。

そして、我々は誰しも悟りを求める種、菩提心が備わっているのです。

その種を見つけるには、無常というある意味、絶望を自覚した時にだと思うのです。

後は、その種を周りの縁に感謝して謙虚に育て、花を咲かせましょう。

そして、その花の上に乗っかり、無常の激しい流れに飲まれることなく

快適に行き渡りましょう。

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