住職の日記

みんなが弘法様

本日は知多四国の公認先達補任・昇任式を執り行いました。

今年も、新たに沢山の先達様が誕生されました。

その公認先達補任・昇任式の前に知多四国霊場の亡くなったご住職や先達様の慰霊法要を

執り行い、知多四国に貢献された方々を称え皆で供養いたしました。

…法要後の会長様の挨拶のお言葉に、「弘法様を拝む姿が弘法様だと思う」とありました。

確かにそうだなぁと思いました。

一般的には弘法大師は「お大師様」と呼ばれていますが

知多では、「弘法様」とお呼びし、お参りされる方も「弘法様」とお呼びし

知多四国に関わる人は皆、弘法様なのです。

普段我々は、確固たる「自分」という存在があると思い込んでいますが

こうして、知多に遍路に行けば、その人の地位や名誉も財産も関係なく

差別なく皆「弘法」さんになるのです。

資本主義の世界では、価値と価値の交換が行われていて

その中でもっとも高い価値を持ち、お金を稼げる人が良しとする世界ですが

まぁ、それはそれで大切なのですが、それだけの価値観に囚われてしまうと

「自分は優れている」と自我が肥大し、慢心してしまうのです。

…確かにそうした世界で成功するのは凄いですが、だからといって

何してもいいわけではないのです。

そして、我々が最も大切にしなければならない価値観はその資本主義ではありません。

あくまでも真理なのです。

その真理を忘れてしまうと、何かしら不具合が生まれ、せっかくの能力も正しく

使われない自体になってしまうのです。

ですが、こうして、遍路に出て皆が一旦「弘法さん」になり

価値観をリセットされれば、本来の姿を取り戻せると思うのです。

「世間虚仮唯仏是真 せけんこけ ゆいぶつぜしん」という聖徳太子の言葉があります。

世間は嘘の世界、真実は仏の世界であるという意味です。

じゃあ、この仮の世界で何も頑張らなくてもいいのか?と言うとそうではなくて

力、知識そうしたものは、他の為に使おうと仏の利他の心を忘れてはダメだということです。

その為には、真理を忘れてはダメだということです。

本来の自分は何なのか、思い起こさせてくれるのが、遍路で有ると思うのです。

年商何百億の社長も、5歳の子供も、100度回った方も、初めての方も

皆が本来「弘法(仏)様」なのです。

みなさんも皆本来仏だと確認できる遍路に出向いて、本来の自分(真実)を思い起こしてください。

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