新しいからすべて良いってわけじゃない
新しい竹箒(右側)を買いました。
少し良いの買い、耐久性にも優れていて、リーチも長く滑らかに掃けます。
で、古い方の竹箒(左側)はお役御免かと言うと、そうではなくこれは最後葉を集める際に
新しい箒ですと長すぎてちりとりに収まりにくいので、この短い古い竹箒を用いるのです。
「弘法筆を択ばず」という言葉がありますが、弘法様の様な能力のある人は道具を択ばずとも
仕事が出来るという事でしょうが
反対に弘法様のお言葉に「能書は必ず好筆を用いる」とあるように、実は弘法様は筆を選んでおられたのです。
楷書や行書や草書それぞれに適した筆を択ばれていたと言われています。
つまり、その筆の性質を見極めて使い分けている能力も大切ということでしょう。
「古くなったから、もういらない」「新しい物はよくわからない」などと、「新しいから」とか
「古いから」という理由で、その性質を見極められないようでは、能書にはなれないということですね。
従って、どんなものにでも善悪は存在するということを忘れてはならないと思います。
ある人には価値が無いかもしれませんが、ある人から見たら何万円も出しても欲しいものかもしれませんし
場面が変われば役に立ち、反対に役に立たなかったり、状況が変わればコロコロ適切な事も変わるのです。
だから、安易に○○だからダメという決めつけ、悪のレッテルを貼ることはこれはその命を無下にする
「殺生」という罪深い業を犯しているのです。
そして、恐ろしいのがそれを悪だと知らずにしていることです。
まぁ何はともあれ、「新しいから何もかも良いってもんじゃない」そして
「古いから正しい」ってことでも無いのです。
仏様の様な先入観に囚われず、本質まで届くような眼(心)を持ちたいものです。