住職の日記

ねばならないことを捨てる

ねばならないを捨てる

鳥が食べ物が無いのか、お供えしてある花を食べてしまいます。

春は来たといえども、まだまだ寒く生き物が活動してないでしょうか?

さて、我々が苦しいのは何かに執着が働いているからです。

従って「〇〇でなければならない」という執着を捨てることが大切になるのです。

ただ「そんな事できない」「そんな事言ってられない」と思うのも人間の心情です。

それは当然と言えば当然ですよね。

しかし、どんなにもがき苦しもうと、この世はお釈迦様が仰られた通り「一切皆苦」の通り

苦に満ちていて、思い通りにならないことばかりです。

私たちは確実に「老病死」に向かっており、それをどうすることも出来ません。

ただ、我々は「幸せになりたい」「楽になりたい」と口々に言うわけです。

ですが、思い通りにならない事をどうにかすることで苦が生じているので

もうどうしようもありません。

無常という大きな物に逆らうのもいいでしょうが、完封負けは目に見えています。

従って、余程こだわりが無いのであれば、その執着を捨てる事が、最短距離になるのです。

ただ、それが出来ないのが人でもあるのです。

しかし、どうして手を離せないかというと、それが唯一の答えだと信じてやまない「自分」が

存在するからです。

ですか、この世に「〇〇でなければならない」というものは無いのです。

有るのは我々人間の認識だけで、その中に善悪があり、優劣が存在しているのです。

つまり、それに縛れている事によって「苦」が生じているのです。

苦の裏に幸福が隠されていて、楽の裏に苦が潜んでいるのです。

この道が唯一の正解と思い込めば、ある意味不正解です。

善と悪は表裏一体で、光も影もワンセットで、光が強ければ影も濃くなるのです。

従って、視点を変えてみる事が必要なのです。

本当に今不幸なのかよくよく考えて見ると、いろいろ問題はあるが

そう改めて考えると意外と、結構いいじゃんと決着がつく事が多いのです。

「足るを知る」様に、常に幸せを感じながらでなければ、どこの道を選択しようと

幸せを感じる能力が養わなければ、感知することが出来ません。

妥協は悪い事ではありません。

視点を変えれば、この世が浄土にも地獄にも変貌するのです。

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