住職の日記

祈りやすい環境を

祈りやすい環境を

ふところ餅。

今コーヒー味もあるんですね。

とても美味しいですよ。

さて、みなさんも経験有ると思いますが、仏様に祈りを捧げると不思議な気持ちになります。

どう不思議かというと、うまく言葉で表せないのですが、どこか無条件の安心というものに包まれる気がします。

擬音で表すと「フワ」と「ジワ~」という感じです。

意味がぜんぜんわからないかと思いますが、まぁそんな感じです。

普段確固たる「自分」を頼りに「これが俺の答えだ」「自分のやり方」と様々な人と争いをしたり

しますが、一心に神仏に祈りを捧げることにより、自分と他の境が徐々になくなっていき

体が微細に砕かれていき、大げさに言うと宙に舞っていくような感じです。

これが「フワ」という感覚ですかね。

それで、微細に砕かれた自分という存在は、本来の御仏の命に還っていき、

こんな不出来な子(阿子)でも暖かく迎えてくれるのです。

それが「ジワ~」という感覚でしょう。

つまり、一心に祈りを捧げると、神仏と我々がすべて往きかいをするのです。

これを「入我我入」と言います。

仏と我々が別々に、そして他の存在も別々に存在していないんだと真実が、祈りから

学ぶことが出来るのです。

ですが、どうしても我々人間は忘れやすい生き物であるので、これをある程度継続させて行くことが

大切になり、それを繰り返していれば、普段祈りを捧げる場でなくても、その状態を

持続させることが出来るのです。

ですが、何もないところで観念することも難しいのが事実です。

そこで、御札やお守りというものが役に立つのです。

御札は神様や仏様の御分身で、神仏そのものです。

それを自宅に祀ることによって、そこが道場となり、対象物ができる事により

「祈りやすくなる」環境が出来上がるのです。

お守りは非常に携帯に便利ですね。

例えるなら、外出先でもインターネットにつながるスマートフォンやWIFIルーターの様なものですかね。

お守りがモバイル端末の様になり、いつでもどこでも、神仏に祈りを捧げる事が出来るのです。

こうした御札やお守りを上手に利用し、祈りやすいライフを送り、御仏と一体となる境地を

持続させましょう。

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