住職の日記

いつかは安心の「安」で

赤い実がつくマンリョウ。

赤がめでたいですね。

今年もいよいよ今日で終わりです。

…今年の、今年を表す漢字一字で「安」という漢字が選ばれました。

私はてっきり「安心 あんじん」の「安」かと思いましたが、テロや戦争への不安の「安」

そして、安保関連法案の「安」から選ばれたそうです。

安心の「安」ではなく、残念ながら全く反対の意味を持つ不安の「安」からの選出でありました。

不安の原因は言うまでもなく人間の煩悩です。

それが有ることにより、自己執着が働き不安や恐怖に駆られるのです。

ですが、煩悩は我々人間が生きている以上は無くなることはありません。

ですから、それといかに向き合うかが大切になると思うのです。

恐怖や不安から解き放たれた、安心の世界も、実はその煩悩の上に成り立っているので

その煩悩を無くしてはならないのです。

ですから、我々は修行をすることが大切になるのです。

そうして、その修行をすることによって、そうした苦をなくすことはできませんが渡る事は

可能なのです。

そして、その修行の方法は人それぞれでそしてどの年代でも必ずあるのです。

そして、その行いに気づくには、自分がどうして存在しているか?という縁起の法則

を悟ることが大切になるので。

それで自分という存在を見ると様々な縁や供養によって成り立っている事に気づき

その周りから尽くされる世界で、自分は何をすべきか?ということは「したいか」「したくないか」は

別として、浮かび上がってくるように思います。

そうして、自分もその尽くし合う世界に参加することによって、本当の安心が得られるのです。

変なプライドを持ち、そのすべき行いをせずに、尽くし合う世界から外れることによって

恐怖、不安が生じ、自分や他を攻めるのです。

この尽くし合う世界は自分も他も無く一体であるのです。

ですから、この煩悩は我々を燃やし尽くしてしまう恐ろしいモノでもあるのですが

反対に、我々が安心得るために必要な修行をするためのエネルギーでもあるので

皆がそれに気づき、そのエネルギーをそれぞれが他に尽くし合う行いに利用して、

本当の安心を得ることが大切になるのです。

来年こそはと言いたいところですが、中々現実的では無いのでいつかは

今年を表す漢字一字を安心の意味を持つ「安」にしたいですね。

…最後になりましたが、今年一年誠にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

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