住職の日記

いずれはインターネットも…

いずれはインターネットも…

つばめが壁に止まってました。

下のつばめは釘の上に止まっているのですが

上のつばめは何も無しで壁にへばりついてます。

神業ですね。

これから、南の国へ帰っていくのでしょうが、今南太平洋から台風が接近中ですので

過ぎるのを待っているのでしょう。

直感が働くのですかね?

そういえば今年は例年以上にお堂の中に巣を作ろうと執拗に侵入してきました。

すると、お遍路さんが「今年は台風が多いかもなぁ」と仰られていました。

どうやら、その通りになりそうです。

長年の感というのでしょうか?

すごい直感力ですね。

今、情報を簡単に共有できる時代ですが、逆に余計な情報に溺れる事も多いに思います。

そして、反対に大事な情報は行き届いていないか、余計な情報に埋もれているか?

のいずれかであると思います。

どんなに切れ味鋭い刀でも錆びないように磨がねばなりませんし、命の源泉の田でも

耕し続けねばなりません。

それを怠れば錆びつき、そして荒廃していきます。

従って、何の為に情報を取得するのか?がこれから大切になるのでしょう。

どんなに情報を取得しても、直感が鈍っていては役に立ちませんどころか

足かせになってしまいます。

情報も大切ですが、すぐに危機感や正しい道を引き当てれる直感がこれからの時代必要なのかもしれませんね。

ネットに検索をかければいろんな事が出てくるように、実体験を多く重ね

良質な答えが出るようになれることが大切ですね。

そして、ネットで出す答えはすべてが「正しい情報」ではありません。

受け売りかも知れませんし、嘘かもしれませんし、定かではありません。

ただ単に、不安を煽り商品を購入させるサイトかもしれません。

ただ、自分の過去の経験から算出された情報は紛れもない本物ですね。

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言いますが、これは真理ですね。

弘法様も若かりし頃は山岳修行に励まれておられました。

そうした、「厳しい」環境に身をあえて置くことで、人としての大きな容量と直感を養っていったのでしょう。

我々も、情報取得だけでなく多くの経験をして、善悪の区別をつけ、つまり智慧を身につけることが

こうした、情報が渦巻く時代を生きていく上では、大切になるのですね。

究極はインターネットに頼らなくてもいいぐらいに、多くの事を吸収したいですね。

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