住職の日記

自分がありたいままにではなく

自分がありたいままにではなく

ソテツの花が咲き出しました。

毎年暑くなってくると咲きます。

夏もいよいよ本番でしょうか?

さて、「常に感謝することが大切」と言いますが、「「常に」ありがたく思うなんて出来るか!」

と思われる人が大半であると思います。

例えば、「こんな突き刺すような日差しとてもありがてえ」と思う人なんておられないでしょう。

しかし、これが状況が変わればどうでしょう?

例えば、海に泳ぎに行ったらそんなこと言う人は殆ど居ないでしょう。

逆に、「今日は曇ってどんよりして、日差しがなくて最高にハッピー」と思う人は居ないでしょうし。

「何か暑くないとらしくないよね」と思うでしょう。

このように、我々は自分の都合に合わせて、これは良い、これは悪いと判断する生き物なのです。

常に感謝することの大切さと言うのは、常に自分にとって得することがあるということではなく

「常に謙虚でいることが大切である」ということなのです。

我々は確固たる「自分」という存在があるので、そうした分け隔てした捉え方をするのです。

お釈迦様は「無我」を説かれました。

反対に自我が働き自分が生きているという錯覚に陥れば

苦しみが苦しみのまんまです。

しかし、無我であると自覚があれば、自分は様々な縁によって生かされている、と謙虚な心が養え

今ある幸せを享受しやすくなるのです。

「謙虚はいいえ自分は結構です」という遠慮することとは違い、何でも享受致しますという

積極的な低姿勢な謙虚さが本来なのです。

玄関に飾ってあるコラムカレンダーです。

つまり、夏場の暑い時期に山へ行ってスキーしたいと言っても無駄なだけです。

しかし、スキーが出来なくても山でキャンプをしたり、虫取りをしたり、夏にやれることは

いっぱいあるはずです。

自分がありたいままにではなく、あるがままに自分が合わせて生きていくということですね。

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