豊かだが無明の時代でもある
サルスベリの花が咲き出しました。
燃えるような赤い色が、この暑い時期を象徴しております。
さて、仏教つまり真理を説くということは、捉え方によっては
冷たいとか、寂しいとか、突き放されたとか、そうした印象を受けます。
皆さんがお読みになる般若心経の中にも「無」という感じが一番多く使われています。
確かにその通りで、この世は虚空であり、空っぽであるので、何にも無いということなのです。
そう思うと虚無感に押しつぶされそうになり、寂しくなりますよね。
何しても空の世界で、無いのですから。
しかし、この世の真理を説かれてもしたいことは無いでしょうか?
それでも命がある限りしていたいことです。
もし、あるのならそれが自分にとっての真実となるのです。
「空」だから何しても意味が無いのではなく、「空」の世界で何をするかによって意味(価値)が生まれるのです。
つまり、空をちゃんと捉えると、燃え盛る炎の様な菩提心が生まれるのです。
今情報社会で、「○億設ける方法」「絶対成功する方法」など一見魅力的に見える情報が飛び交いますが
しかし、それらは「その人は」それで成功したということで、必ずしも自分には当てはまらないのです。
だから迷いは解消されないのです。
従って、すべての人に当てはまる情報など無いので、よくよく見極められる「智慧」が穏やかに生きていくためには
必要になります。
とは言え、こう真理を説いても自分自身が実感しないことには何もわかるわけがありません。
ということは、色々やってみて失敗をしたり、大きな壁にぶち当たった時に
初めて自分の無力さを感じるのでしょう。
つまり、先ほど申しました虚無感に苛まれるのです。
そこで、初めて自分は周りのお陰で生きているという、この世に流れている「縁起の法則」に
気づくのでしょう。
そして、その縁起の法則を悟れば、自分は今どうすればいいか?
それが今自分のすべき方便なのです。
つまり、世話になっている人たちに何をすれば良いのか?ということです。
「え?そんな当たり前のことかよ?」と思われるかも知れませんが
世の中の優れている人は謙虚な人が多いのです。
つまり、縁起の法則にいつ気づくか?でしょうね。
早くに気づけば、多くの縁を集めることができて、大成するということでしょう。
それに気づかなければ光を浴びないままこの世を去るのです。
闇から闇の世界に生まれ闇へ去っていく。(でも、当の本人は光の下にいると思い込んでいますが)
仏様は我々にミッションを与えておられ、それを我々が遂行することを望まれておりますが
まずは縁起の法則に気づかなければなりません。
感謝の心(懺悔の念)が無い者が、何したって世の中が穏やかになるはずもありませんし
血で血を洗うだけなのです。
従って、自分のいたらなさを人生の早期に感じ取る事が大切になるのです。
それは「失敗は成功の素」「かわいい子には旅をさせよ」「若い頃の苦労は買ってでもしろ」
ということでしょうね。
今は情報社会ですが、その情報で「わかった気」になり、行動しなければ
失敗は無いですが、真実に目覚めることも無いでしょう。
豊かになればなるほど、無明の世界が広がっているこの矛盾を解消するには
仏法を学び、それを実践するしか無いでしょうね。
しかし、これだけ豊かな時代に自らを律し何かをすることは、厳しいですよね。
だから、今は真実に目覚めにくい、厳しい時代なのです。