証明できる
本日盆踊り大会の打ち合わせがあり予算決めが終わり、チラシ作りに掛っております。
沢山の方の浄財をもとに執り行う行事ですので、より多くの方に来て頂いて
楽しい時間を共有したいと思う次第であります。
浄財とは心の垢がついてないお金であります。
我々は何かの対価でお金を払います。
自分の食事、自分の娯楽、その為のお金です。
つまり全て自分への執着が働くお金で自我がしっかりついたお金であります。
そのお金が悪いという意味ではありませんが、この奉賛金は皆が楽しむためのお金であり
自分の為ではありません。
勿論、皆が楽しむ事が結果自分の為であるのですが、利他の心が先であります。
資本主義の価値観から言ったらそんな抽象的な対価なんてあてにならんと言われるかもしれませんが
確かにこの世は資本主義でそれは正しいわけですが、それだけだと
損得勘定だけにガチガチに固まった寂しい世界になってしまうのです。
従って、我々はそうした世界でこうした資本主義の価値観が到底及ばないような行事を行わなければなりません。
この世に損得勘定無しに互いを思いやる相互供養の仏の世界が一瞬でも出現するならば
それは紛れもなく「仏の世界が別々に存在しているのではない」という証明になるのです。
まぁいずれにしても楽しみたいですね。