住職の日記

苦しいことを認める

苦しいことを認める

苦味がうまいゴーヤ。

年取ると味覚が変わると言いますが、本当ですね。

ふきのとうや、ゴーヤの苦味を楽しめるようになりました。

さて、以前も申しましたがこの世は「一切皆苦」、つまりこの世は苦しみに満ちた世界であるという事です。

前提として生きる事は苦しいんだよという事を認める事がまず大切です。

何で?と思うかもしれませんが、これは必須ですね。

例えば、このゴーヤやふきのとうの苦味を楽しめるのは、何故でしょう?

それは、苦いと分かって食べるからでしょう。

いないと思いますが、このゴーヤから「甘い」という味覚を期待していたら、食べれたもんじゃありません。

つまり、この世は苦界であることを認めれれば、その中でも楽しむ事が出来るという事です。

「この世はハッピーハッピー楽しいぜー!」と思いながら生きて行くなんて、とてもじゃないけど無理です。

この世で生老病死の苦しみから逃れようとしても、何人も逃れる事が出来ません。

「辛気臭いなぁ、そんな事より楽しもうぜ!ハッピーハッピー!」と言うのは苦の存在を考えない様にしてるだけなので

それらの苦しみに直面したら、この世は地獄だなんだと騒ぎ立てて、醜態をさらすのです。

これでは、何の解決にもなっていないのです。

したがって、我々は穏やかにこの世を生きて行こうとしたら、この世は苦界であると認めなければならないのです。

そうでなければ、ゴーヤ同様生きられた物じゃありません。

この世は苦しいものだと自覚をした上で、楽しめる事こそが真の幸福ではないでしょうか?

それを、我々は見つけだし、その時間を膨らます努力をしましょう。

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