空だから本来善いも悪いもない
裏庭の正月の花千両が咲き出しました。
もうすぐ冬と言うか正月ですね。
鳥に食べられない様にネットを被せなくては。
さて、我々は善い事が起きた、悪い事が起きたと、物事をすぐに善悪分け隔てしようとします。
しかし、元々この世は空の世界で、善いも悪いも本来ないのです。
それなのに、これは「悪」これは「善い」と決めつける事により、「善い事」だけを欲する様になり
視野が狭くなってしまいます。
それでは、善い事だけ望もうと、つまりありもしない物に執着すればするほど苦しくなり
物事を正しく見る事が出来なくなり、結果的に、その人の言う善い事は遠のいて行くのです。
例えば、若くして成功しても、それに慢心してしまい結果的に大借金をしてしまった。
となれば、その若くしての成功は善い事だけでもないわけです。
慢心を生み、道心を失い、無常の風に煽られてしまい、結果として惨事に見舞われてしまったのです。
もう一つ例としては、若くして病にかかってしまったが、その病にかかった事によって
生きる事が如何に尊いかという事に気付き、以後様々な物に感謝して生きて行けるようになった。
病にかかる事は一般的には悪い事ですが、それを転換して結果的には幸福になったのです。
感謝できない人生は、何しても満たされませんから、そんな人は「もっともっと」と欲望を膨らまさせ
いつかは膨れ上がりすぎて、パチンとはじける事でしょう。
冒頭でも申しましたが、この世は空で、全ては実体が無いのです。
従って、物事を如何に捉えるかによって、その後の人生変わっていくのです。
「人生は○○でなければいけない」「○○しなければ幸せになれない」という決めつけが世間では
お題目の様に唱えられていますが、それはある人の価値観で、それが必ず正解ではないのです。
物事を早々に善悪という単純な二択で決めつけるのではなく、視点を変えてみる事が大切になるのです。
例えば、おみくじで「大吉」を引いたり、星祭で運勢の「いい星」に当たったとします。
「やったー!!今年は何してもうまく行くー!!」と有頂天になり、心が上がってしまうと
物事を冷静に見る事が出来ず、判断をあやまり、とんだ惨事に見舞われるなんて事は
よくあるわけです。
逆に、大凶や運勢の星に当たっても、それにめげずに「よし!いつも以上に気を付けようと」
心構えすれば、無事に過ごすことが出来るのです。
善悪は表裏一体で、反対からの視点で見れば、全然違った顔を覗かすのです。
従って、吉で「やったー」と真に受けるのではなく「幸先いいけど浮かれずに気を付けよう」と
心の点検をする事が大切になるのです。
その為には常日頃から法を拠り所としなければなりません。
法は上がったり下がったりするものではなく、普遍的なものであります。
つまり、法以外の物を拠り所とすると、安心は得られないのです。
何故なら、無常だからです。
人や物はいずれは必ず滅するものであります。
お金や株も景気や国の情勢によっては大きく変動するものです。
そんな不安定な物を拠り所とするなんて実は危険すぎるのです。
法を拠り所とすれば、おみくじや星祭で一般的に悪い結果を引いたり
災厄に見舞われた際にも、冷静に視点を変えて、その現象を福に転ずる事が出来るのです。