真実はすでに前にありますよ?
檀家さんに蝦蛄(シャコ)を頂きました。
卵ぎっしりでうまい!!
梅雨入り前のシャコが最高だそうです。
さて、我々が幸せを感じれなくなるのは、誰かのせいでも社会のせいでもありません。
自分のこだわりが不幸にさせるのです。
仏教の言葉に「遍界不曾蔵」という言葉がありますが、これは世の中は何も隠してないという意味であります。
真実は隠されてはおらず、すでに存在しているのです。
例えるなら、テストを受ける際に、全ての答えが黒板に書かれているようなものです。
黒板に書かれている事を、その通りテスト用紙に書けば、満点が取れるのに、「ここじゃないどこかに真の答えがあるんだ!」とこだわりだし、あえて低得点をとるようなものです。
変なこだわりがあると物事を正しくとらえる事が出来ず、深い森の中に迷い込んでしまいます。
これからアジサイが咲き出します。
アジサイは桜の華やかさを妬んだりしませんし、その反対に桜もアジサイを妬んだりしません。
花木は自分に与えられた個性や特質を大事にし、与えられた限られた時間を精一杯生きているのです。
「何で自分はアジサイなんだろう?」とこだわっている無駄な時間がないのでしょう。
美しい物は無駄がありません。
花が美しいのは、そういった姿ではないでしょうか?
我々人間は自分の個性や特性に気付くには、自分は仏さまと一体であると感得せねばなりません。
そして、感得する為には、謙虚でなければなりません。
更に花木よりは時間は長いかもしれませんが、我々も散る日が来るのです。
だったら、素直に自分に与えらた物を見つめ、幸せになった方がいいですよね?
冬はスキーを楽しみ、夏は海を楽しむと、物事を素直に受け入れると幸福になりやすいです。
答えは目の前にでかでかとありますが、それで納得いかないなら大変ですが違うのを探すしかありません。
そうしているうちに、大切なかけがえのない時間がどんどん削られて行くことを覚悟しておかねばなりませんが。