生きているのではなく、生かされている
この時期参拝者の方が「桜が咲いてる!!」と驚かれます。
今年も人気者の四季桜です。
さて、我々は「生きている」という意識がありますが、実際は「生かされている」のです。
「そんなことない、自分一人で生きているよ」と思われる方もいると思いますが、ありえません。
その証拠に、必ず我々は死んでいくではありませんか。
自分で生きているというなら、どうしてそれを避ける事が出来ないのでしょうか?
それは無常だからです。
例え、生きたくても、無常による老病死が襲い掛かり、命を奪われてしまいます。
自分で「生きている」と思うのは、傲慢で大きな勘違いなのです。
そして、こうして我々が生かされているのは、何かの命が犠牲になったり、様々な命に尽くされているからです。
「感謝」というのは、自分がこうした様々命の上に存在しているんだという、「懺悔」の念から来るのです。
前も申しましたが、懺悔と感謝はワンセットです。
ありがたく感じない、感謝できないって事は、自分がどれだけの命に尽くされているか、全然知らない証拠であります。
そして、この懺悔の心があるからこそ、何事もありがたく享受できるのです。
つまり、「生かされていると感じれない」人生に幸福はありえないとも言えますね。
その為には、如何に自分が尽くされ生きているのか、よくよく観じてみましょう。