無常だと自覚しないで接すると…
もう、どんぐりが。
秋ですねぇ、気温も涼しくなり快適ですね。
さて、我々の身を置く世界は苦しみの世界でもあります。
そしてその、苦しみは全て原因があります。
従ってその原因から取り除かないと苦しみは、なくならないのです。
仏教に四諦という言葉があり、皆さんもお読みになる、般若心経のにも出てくる
「苦・集・滅・道」という四つの真理であります。
一切は苦であるという真理、集は苦には原因があるという真理、その苦しみが滅するという真理、そして道は苦を滅する方法であるという真理です。
従って苦しみの原因を探り、それを解決する方法が道という事であります。
では、その苦しみとは何かと言いますと、自分へ執着であります。
我々は、これは「私の」体、子供、家族、物、家、土地、お金…等々、「私の」と我執が働きます。
確かに、自分が携わる物をより良くしていこうとか、大切にしようと思う事は大切であります。
しかし、この世は無常であります。
それらの「私の」と主張しているものは、無常の鬼がフッと息を吹き掛ければ、ガラガラと崩れる物ばかりです。
従って、それらのもろい物に愛着するから、苦しみが生まれるという事であります。
勿論、それらを雑に扱えというわけではないのです
この世は無常だとという真理を自覚を持ったうえで、接することが大切という事になります。
無常であるものを、全くその自覚なく見たり、接すると、いつまでも永遠に続くような「気」がしてしまいます。
それは、「夢想」と言って、生きながらフワフワと夢の中にいるような状態なのです。
悟りとは目覚めとも言います。
それは眠っていて起きる目覚めとは違います。
人や物ではなく、この世に存在する真理を自覚しそれを拠り所とし、妄執による霧を払い
生きて行く事が目覚めであり、それが苦を滅する方法(道)であるのです。