溶け込みましょう
山法師の葉が赤く色付きました。
気付けば立冬を迎え、日中過ごしやすいですがもう冬です。
さて、人に起きた事をあたかも自分の事の様に喜ぶ人いますよね?
またその逆に人が落ち込んでいる時に、一緒になり悩み悲しみを分かち合う人もいます。
もうお気付きだと思いますが、この人は自他との垣根がありません。
つまり虚空に同化しているのです。
自分が無いつまり執着が少ないからこそ、他人にもすーっと溶け込んでいけるのです。
そういった人は他人の気持ちがよくわかるのです。
よく、言葉で人を気付ける人がいますが、それは自分の事だけを考えているからで
確固たる自分と他人が存在する人は、全くその場その相手に相応しくない言葉を発してしまうのです。
それでは、全く穏やかになりません。
昨日も申しましたが、この世は空で実体がありません。
従って自分も他人も、生も死も本来分け隔ては無く一体なのです。
それが空の世界の実情なのです。
従って、虚空を感得し、平たく言うとに言うと空気になる事が大切なのです。
「目に見えないし印象薄くない?」と思われるかもしれませんが
空気って当たり前ですが、生物には欠かせない存在です。
人間が酸素を吸い、吐きだし二酸化炭素となり、それがまた木々に吸収され、また酸素となり外に出され
空気と言う実体はないのに、ものすごく生物のお役に立っています。
話は変わりますが弘法大師空海様のご誓願に「済世利人(さいせいりにん)」とあります。
世の中を救い人々に利益を施すことを言います。
弘法大師様は高野山の奥ノ院で御入定され、弥勒菩薩の浄土兜率天に居られます。
が、入定留身と申しまして、先程申しました浄土に居られるのですが、弘法様は高野にもおられ
我々がどんな場所にいても、どんな時間でも「南無大師遍照金剛」と唱え、ひとたび救いを求めれば、瞬時に
我々のすぐそばに寄り添われ悩める我々とともに歩んで下さるのです。
悟りを開かれて虚空と同化し、まるでこの地球を覆う大気の様に分け隔てなく我々を包み込んで下さるのです。
それは、「空気は目に見えない」様にその行いに手垢を残さず、御入定された今でも徹底的に人の糧となっているのです。
確固たる自分が存在している人は、「自分は生きている」と自覚している様です。
しかし、「本当は生かされている」の誤りであります。
それは何故なら、我々の命は酸素を吸い、様々な生き物の命を頂き、他人の労力の上に成り立っているのです。
これを「生かされている」と自覚しないで何と言うのでしょう?
確固たる自分という虚像にしがみつけばつくほど、苦しみはなくなりません。
それは酸素を吸えてない状態だからです。
息が続かず苦しいまま、虚像と戦う事になります。
従って、生きながらに虚空に立ち返り、心で呼吸することです。
自分と他人を線引きをしていたのは、誤った認識から生まれていた虚像であったと
本来の姿に立ち還る事により、初めて他を思いやる事が出来るのです。
我執が働いたまま他を思いやると言っても、それは見返りが働くので
善いとか悪いとかではなく、続きません。
徹底的に空じて、全ての存在に溶け込み、その集合体の中ではじめて本当の自分の
存在、またはすべき事が確立されるのです。