住職の日記

この世は宝の山

この世は宝の山

前の公園の池にカモが帰ってきました。

賑やかになりますね。

さて、この世は空であり、全てに実体はありません。

だからこそ宝の山なのです。

実体が無いのに宝なんて矛盾していると思われるかもしれませんが

自覚してほしいのは、この世は仏の世界なのです。

昼夜問わず誰もが平等にその光が降り注いでいるのです。

従って、空じて真理(法)に従い、生きて行く事が大切になるのです。

<冬の花 山茶花 今日は「立冬」今日から冬です>

花はどの花が一番なんてありません。

それぞれに特性が備わっていて良さがそれぞれあるのです。

上の山茶花だって桜だって紫陽花だって季節も花の良さも異なり、どれも素晴らしいです。

そして、どの花も他の花を妬むことなく、まるで無常を自覚しているかのように

短い時間を全うして美しく咲いていきます。

しかし、我々人間は何かと比べ自分は不幸だなんて思い込むのです。

もうお気付きだと思いますが「自分」は「不幸」と言うのはこの世界ではともにありもしない物なのです。

何故なら冒頭でも申しましたが、この世は空であり全ては実体がありません。

自分も他人も、善いも悪いも、幸福も不幸も、正解も間違いも本来ないのです。

それなのに、執着から来る「自分」と「不幸」という物に悩まされるのです。

本来無い物に振り回されるなんて、得難い一生を無駄にしているとしか言いようがありません。

そして、花に比べたら随分長いかもしれませんがそれでも花同様、散る時が来るのです。

ですから、そんな世界だからこそ虚空を感得し、我執や常識から来る囚われを離れ

正しく物事を見る事が大切なのです。

冒頭でも申しましたが、命を育む仏の光は、昼夜問わず萬物に降り注いでいるのです。

花同様、人間もそれぞれに与えられた特性があるのです。

その光を享受し、その命を育む義務が我々には本来あるのです。

もちろん、そのミッションはそれぞれ違います。

無常を自覚し、生きながら虚空に還り、それぞれの道を懸命に進む事により

空の世界に様々な宝が創造され、宝で埋め尽くされるのです。

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