住職の日記

最後は…

書道は手本が重要ですが

肝心なのは手本が無い時に上手く書けるかどうかです。

しかし、本当に手本が無いと上手く書くことが困難であります。

…「末法」と言う言葉はよく使われますが、その反対を「正法」と言います。

これは末法というのは、教えだけが残り、覚者がいないことを言い

「正法」は教えが広まり覚者が世にいる事を言います。

正法の時代は修行ができても、末法つまり覚者がいなくなった時代に

修行を続けていくのは中々難しい事ですが

ここで真価が問われると思います。

我々は時として自由を求めますが、自由とは「自己に由る」という事ですので

自分の修行がしっかりしていなければ、自由を求めて行動しても

中々心穏やかに生活することは難しいと思います。

ですから、覚者を頼りにして修行するだけではなく

最終的には自分で自分の足元を照らせられるように

修行をしなければならないのですね。

そうなれば、末法の世であっても、足元が照らされて心穏やかに

歩んでいけるのでしょう。

中々成長しない書を見て思った次第であります。

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