施餓鬼を志すとは
こんにちは。
三連休の最終日いかがお過ごしですか?
今日はお彼岸のお中日で施餓鬼法要を執り行いました。
施餓鬼とは、この世から供養を受けれない仏様、つまり無縁の仏様を、この世で健全に生きている我々が供養する事を言います。
ですから、ご先祖様への直接的な供養ではありません。
ですが、その恵まれない仏様を皆様が供養しているその尊い姿をみて、ご先祖様が大変お喜びになる。
つまりご先祖様の供養にもなるのです。
ただ、これは何もあの世だけの話ではありません。
この施餓鬼の構造は我々が身をおいている、この世界でも当てはまります。
簡単に言うと、困っている人がいたら、助ける。
こんなシンプルな理屈です。
一見当たり前の様ですが、当たり前の事は何度でも自分自身に言い聞かせなければなりません。
こうしてお寺で施餓鬼を行う事で、助け合いの精神を学び、または忘れない様に心に刻む事ができます。
なぜなら、法要を行うからです。
困っている人がいたら、助ける。
施餓鬼は尊い行いであります。
施餓鬼を志す檀信徒。
この涼しくなった、お彼岸でこの尊い行いを、する事はいつも以上に功徳は多いです。